圧迫感があって、夜中に目が覚めた。
昨日から続いているプレッシャーによるストレスが影響していると感じた。
昨夕、その日届くと思って待っていた材料が届かず、それは業者側でキャンセルしていたことが判明した。
工作を中断して、業者へ連絡し、発注のしなおし、
そこへIさんが肥料用鶏糞を届けに来てくれた。
Iさんの車から鶏糞の袋をおろし、お礼を述べて、工房建設のお話をする間、頭がぐるぐる回る。
仕事片づけに入っている大ちゃんとも今後の段取りを相談しなければならない。
ばたばた対処していたら、建設中の建物が西日を背後にして大きくのしかかってきた。
一度にいくつもの問題が押し寄せ、頭がパニック状態だ。
経済的な不安要素もからんでいる。
ここまでやってきた自分の判断と認識はよかったのか、間違ってはいないかと頭が問いはじめた。
プレッシャーによって精神が不安定になると体温まで下がってくるようだ。
これはいかん。
ストレスをまずは減少しなければ。
ゆっくり風呂に入って、頭を無にしよう。
何も考えずに風呂に使って温まり、そして寝た。
プレッシャーは夜中に出たのだった。
やはりストレスはがっちり残っている。
頭はさえてきた。
いろんな想念が次々浮かぶ。
イチローが浮かんだ。
WBCでの打撃不振で、イチローは胃潰瘍になった。
常にチャレンジを続けてきたイチローが、不振におちいり、大きなストレスはイチローの胃に穴を開けた。
WBCの後、イチローは、「つらかった、苦しかった」と言った。
何とかしなければと思いながらなんともならない、
背負うものの重さ、それがイチローのストレスだった。
布団の中、ぼくの頭の映像がつぎつぎ変わった。
ぼくは山の急な壁を登っている。
神経と細胞は緊張し、筋肉は総力をあげていた。
ぎりぎりにはりつめた精神力、精神力が尽きたときが落ちるときだ。
あれは26歳の秋だったか。
鹿島槍ヶ岳東尾根三の沢を、登攀していた。
午前中は、落石の巣だった。
沢は狭く、そこは落石のトンネルだった。
トップを行く北山君が石をひとつ落とすと、それが他の石を巻き込んでセカンドのぼくを襲った。
石を避けるために全神経を働かさねばならない。
無雪期にこの沢を登った記録はなく、
沢には人の入った形跡はなかった。
午後、沢正面に滝のかかる大岩壁が現れた。
滝を避けて取り付いた右岸は、初めは草付きの急斜面で、これが危険きわまる壁になった。
登るにつれて傾斜がより急峻になり、
ついに足を置くスタンスも、体を支えるために手でつかむホールドもなくなった。
靴を斜面に蹴りこみながら、わずかな草を支えに、バランスを保つ。
背中にテント、食料などが詰まった特大のキスリングザックを背負っている。
夕方の5時がせまっていた。
絶体絶命の感じがあった。
落ちるかもしれない、
落ちればこの急峻な谷をどこまでもバウンドしながら落ちていくだろう。
冷静に冷静に、観察する。
滝上のテラスが右上にあった。
そこへ精神力が衰えるまでにたどり着かねばならない。
1本の草、それが体を支えた。
6時、精神力はもちこたえることができた。
勝った。
岩の上で死んだように眠り、一晩を明かした。
寝床の中、ぼくは胸の辺りに温かい体温を感じた。
エネルギーが、湧いてくる。
不思議な体験、
湧いてくるものがある。
この熱いもの、これを満たさねば。
力を吸い込むように、息を吸い込む、
エネルギーを身体に満たす。
問題、課題が解決したわけではない。
だが、縛るものがゆるんだようだった。