「私は氏のきびしい風貌に、戦争の濃厚な匂いを感じていた。
あの戦時という奇妙な一時期が氏の顔に貼りついており、
私の顔も同じであるのだろう。
戦争について、あらためて話し合わなくても、
互いによくわかっているのだ。
氏は夫人を失い、
荒れた原野にただ一人立っている。
今、ここに戦争文学全集を刊行されるのは、
遠い日の、
しかも現在の氏をとらえてはなさない荒野を吹きすさぶ風の音を聞こうとしているのだろう。
その姿に、
私は粛然とした思いである。」
と、今は亡き城山三郎の風貌について書いたのは作家の吉村昭である。
吉村昭と城山三郎は、同じ昭和2年生まれだった。
ともに小説家であり、戦時体験をもっている。
敗戦まぎわ、本土上陸してくるであろうアメリカ軍を迎え撃つために、
海軍は「伏龍特攻」という、方法を考え出した。
海の中に入って、アメリカ軍が上陸してきたときに爆弾で自爆する、
という方法だった。
城山は、17歳の学業半ばで海軍にはいり、
「伏龍特攻」の隊員になったのだった。
城山三郎は、こう書いている。
「もはや艦船もないので、竹の棒の先に爆薬を取り付け、
海底に前後90メートルの間隔に散開して、
上陸しようとする敵艦船に文字通り体当たりしようというもの。
しかも皮肉なことに、配置場所が湘南海岸、いま私が住んでいる場所だった。」
「なんという馬鹿な戦争を、日本は始めたものか。
こうなることがわかっていたはずなのに。
当時の指導者たちを、国民として許しておけない思いがするが、
いかがなものであろうか。」(「仕事と人生」角川書店)
城山三郎の怒りと批判は終世変わらなかった。
それが城山の表情と風貌を作った。
人間の風貌と、
顔に折りたたまれた表情、
それは人間の内面のあらわれ。
その人の心、思想、感情、体験、人生、
すべては、顔に現れるか。
思い出す加藤周一氏の貌。
そのまなざし。
自己の内面を意識する。
それが自分の顔に現われているとしたら、
それも少々困惑する。
孤独、
自信、
希望、
怒り、
悲しみ、
絶望、
恥、
悔恨、
人生の無数の体験のしわからにじみでる、
表情。
顔に折りたたまれ、
刻み込まれる、
人間の心。