烏川緑地とアルプス公園



北アルプスから流れ出て安曇野をうるおす烏川。
その森のはずれに、二つの公園がある。
烏川緑地とアルプス公園。
烏川緑地は、長野県がつくって管理している公園であり、渓谷沿いのエリアと渓谷から離れた森林エリアの二箇所から成り立っている。
一方のアルプス公園は国営で、県営烏川渓谷緑地の下流、森を出たところにあり、広がる芝地や池、花壇、あちこちに建物が点在している広大な公園である。
烏川緑地の施設は簡素で、自然にあまり手を加えずていない。
アルプス公園の方は人工的なつくりが多く、作られた庭園風になっている。
県営は入場無料、特別な出入り口も柵もなく、訪れる人の影もあまりない。
管理事務所の職員は夕方退勤する。
国営は入場料を徴収し、自然を学ぶための学習室やレストラン、東屋が建てられ、全敷地を頑丈な柵がとりまいている。
アルプス公園では、イベントも行なわれ、子どもたちのための自然体験教室も開催されている。師走になるとイルミネーションが夜の木々や池の面を輝かせ、幻想的な雰囲気に包まれ、春には早春賦音楽祭が開かれる。
アルプス公園はさらに拡張され、大町の方にもつくられており、山麓にそって安曇野から大町までつづくことになる。


両者の規模は桁違いで、小さな烏川緑地はアルプス公園にかすんでしまっている。
しかし、貧素に見えた烏川緑地と豪華なアルプス公園への、ぼくの見方が変わってきた。
昨年秋、落葉松の葉が色づいたころ、烏川の森エリアの道を散策した。
落葉松の梢を、風が吹きすぎていくと、
落ち葉は金色の吹雪になって音もなく降り注いだ。
樹間から烏川の上流が見え、二手に分かれる右の谷の上に常念岳、左の谷の上に蝶が岳の稜線が仰がれた。
足元の堆積した落ち葉を踏んで歩く。
落ち葉は発酵した芳しい香りを発していた。
「ただの森」のもたらしてくれるものの深さを感じる散策だった。
このときから、アルプス公園に満たされぬものを感じるようになった。
あまりに人工的なつくりをしている。
それは「庭園」というつくりを公園の基調にしているからだろう。
夏の日中、ここでは空高く伸びる木の下陰の散策は味わえない。
樹木の占める比重が、あまりに低い。
山麓線という県道からアルプス公園までの数百メートルの広い道路にも、並木はない。
これは現段階のアルプス公園を象徴している。
「散策する道は、すべて緑の木陰、緑の風が吹く」、という考え方に立って高木を育て、増やしていくならば、
もっと潤いのある、魅力的な公園になるだろうに。
すぐそこの山に、木はいくらでもあるではないか、というのでは、アルプスの名を冠した公園にならない。
人の肌近くに、木立ちがある。
人の呼吸する間近に、緑の樹木がある。
人の頭の上に、茂る木々の枝がある、花がある。
緑陰で昼寝ができる。
アルプス公園をそういう公園にできないか、ぼくはそう念願している。


大前研一氏(経営コンサルタント)の沖縄論は、その通りだと思った。
沖縄の自然破壊と経済開発の関係。
不況のときに自然破壊が進む。


 「泡瀬干潟では、バブル時代の87年にできたリゾート構想をもとに埋め立て事業が強行されている。‥‥
新型の生物も見つかる貴重な干潟が死の海になる危機にある。‥‥
 観光客は人工海岸などではなく、手つかずの自然を見たいのだ。
大量の土砂が青い海に投じられ、海面が茶褐色に変わる姿は、大金を投じて海岸線を傷だらけ二流リゾート地に変えようとしているとしか見えない。‥‥
 私は沖縄が大好きで、25年以上前から沖縄の海でダイビングを続けてきたが、行くたびに島々が次々とコンクリートの護岸で覆われ、離島が本島と道路や橋でつながれてゆく姿に驚くばかりだった。
 命を育む沖縄のかけがえのない自然は不況が来ると傷口が広がるようだった。
 こうした姿は全国の縮図だろう。道路、ダムなど公共事業は不況になると全国的に活発になる。即効性が問われる経済対策は都会より地方が優先される。
開発しやすい自然が残された用地買収が楽なのだ。
 例えば北海道では一般道の拡充と高速道路整備が進んだが、二重投資の採算は悪く、地域経済の活性化には役立たなかった。
建設業など古い産業を温存した分、地域経済の再生や新しい産業の振興が遅れた。
社会資本の整備が進んだ日本では公共投資の経済効果は小さい。
‥‥
 沖縄の振興策に戻れば、沖縄の強みに基づく政策こそが必要だ。
たとえば、亜熱帯で冬も過しやすい気候やアジアに近い立地を生かした、退職者やお年寄りが安心して過せる介護や保養地(アクティブシニアタウン)づくりにこそ、沖縄の活路があると思う。
‥‥
 長期的に需要が見込める介護分野は、人手不足と低賃金が特に都市部ではネックになっている。
ならば地方の出番だ。
沖縄限定の介護就労ビザをつくるのはどうか。
福祉分野で沖縄を徹底した『特区』にすれば、県境や国境を超えて人とカネを呼び込め、
余生を送る楽園になるだろう。 ‥‥」(2・19 朝日)


自然公園を作るために自然を破壊し、逆に自然から隔たっていくようなことにならないように。
経済を活性化しようとして、地域の基盤を崩さないように。
多くの市民の知恵と参加が必要だと思う。
その土地、その地域の宝とは何か、それをよく観察し、考察して、保護、復活することから、
新たな地域の再生が可能になる。