大関松三郎「ぼくらの村」

1945年の敗戦後5年間の暗さより、今の方がもっと暗い、と大江健三郎が語っていた。
そのことを話すと同僚は、そりゃあ、あの時代には希望があったもの、と言った。

住むところなく、食べるものもなく、栄養失調で死んでいく人々が出た時代、
それでも新しい国をつくるのだという希望があった。

今、この時代の暗さに対して、大江は、パレスチナの作家であったサイードの言葉、
「それでも人間がやっていることだから解決しないはずはない」
を子どもたちに伝えようとしていた。


オバマ大統領の就任式で語られた言葉、
オバマは希望に言及した。


 「この日に我々が集ったのは、恐れではなく、希望を選んだためで、争いの代わりに団結を選んだからだ。

 我々は、実行されない約束や、ささいな不満を終わらせ、これまで使い果たされ、そして政治を長いこと混乱させてきた独断などをやめる、それを宣言するためにやって来た。

 過去に固執し、狭い利益しか守らず、面倒な決定は後回しにする時代は終わった。
今日からは、我々は立ち上がり、ほこりを払い、アメリカ再建の仕事に取りかからねばならない。

 太陽や風や土壌を使って、自動車の燃料とし、工場を動かす。
我々の学校や大学を新たな時代の要請にあわせるようにする。
これらすべてが我々には可能だ。これらすべてを我々は実行するのだ。

 我々を余りに長期間、消耗させた使い古しの政治論議は、もはや適用されない。
今日、我々が問うのは、政府が大きすぎるか小さすぎるかではなく、機能しているかどうかだ。
家庭が人並みの収入を得られるよう仕事を見つけ、威厳をもって引退できるよう助けているかどうかだ。

 なぜ、男性も女性も、子どもたちも、どのような人種、宗教の人々も、こうして就任式に集まることができるのか。
なぜ約60年前なら地元のレストランで食事させてもらえなかったかもしれない父をもつ息子が、こうして皆さんの前で宣誓式に臨むことができるのか。これこそが、我々の自由、我々の信条の意味なのだ。

 我々が誰なのか、我々がどれほど遠くまで旅してきたか。今日という日を、それを記憶に刻む日にしよう。」



オバマの演説は多くの人の心の奥にしみこんだ。
いったい我々は誰なのか、我々はどこから来て、どこへ行こうとしているのか、
この問いは、今や人類への問いかけでもある。



1945年の日本、治安維持法で獄中につながれていた一人の教師が解き放たれ、
自分の指導した子どもの詩を世に出した。

寒川道夫氏、彼は生活つづり方教育の優れた指導者だった。
一人の子どもというのは大関松三郎
松三郎は1926年(昭和元年)新潟県に生まれた。
小学生のとき、松三郎は寒川先生の指導を受けて、詩を書いた。

その詩集「山芋」は、
召集されて軍隊に入った松三郎が1944年(昭和19年)南シナ海で雷撃をうけて19才で戦死した後に、
寒川先生によって1951年に発行された。
松三郎小学6年生のときの詩の中に、「ぼくらの村」というのがある。



       ぼくらの村           大関松三郎


   ぼくはトラクターにのる スイッチをいれる

   エンジンが動き出す  ぼくの体がブルルンブルルンゆすれて
   トラクターの後から 土が波のようにうねりだす
   ずっとむこうまで  むこうの葡萄園のきわまで まっすぐ
   四すじか五すじのうねをたがやして進んでいく
   あちらの方からもトラクターが動いてくる
   のんきな はなうたがきこえる
   「おーい」とよべば 「おーい」とこだまのようなこえがかえってくる
   野原は 雲雀のこえとエンジンの音
   春のあったかい土が つぎつぎとめくりかえされて 水っぽい新しい地面ができる
   たがやされたところは くっきりくぎられて
   そのあとから肥料がまかれる 種がまかれる
   広い耕地がわずかな人とわずかな汗で
   いつもきれいに ゆたかにみのっていく
   葡萄園東側にずっと並んでいるのは家畜小屋
   にわとりやあひるや豚や兎や 山羊やめんようがにぎやかにさわぎまわり
   そこからつづいている菜種畑や れんげの田には
   いっちんち 蜜ばちがうなりつづけている
   食用蛙や鯉やどじょうのかってある池が たんざく形に空をうつしながら
   菜種畑の黄色とれんげ田の紅色の中に 鏡のようにはまりこんでいる
   ずっとむこうの川の土手には 乳をしぼる牛や 肉をとる牛があそんでいる
   こんなものの世話をしているのは としよりや女の人たち
   北がわに大きなコンクリートの煙突をもっているのは 村の工場
   半分では肥料を作っているし 半分では農産物でいろんなものを作っている
   あそこから今でてきたのは組合のトラックだ
   きっと バターや肉や野菜のかんづめや
   なわやむしろやかますや靴なんかをのせているだろう
   村で出来たものは遠い町までうられていく
   そして南の国や北の国のめずらしいものが 
   果物でも機械でもおもちゃでも本でも
   村の人たちののぞみだけ買ってこられる
   組合の店にいってみよ 世界中の品物がびっくりするほどどっさり売っているから
   あ、今 工場の右の門から蜜ばちのようにあちこちとびだしたオートバイは
   方々の農場へ肥料を配達するのだ
   いい肥料をうんと使って うんと肥えた作物を作らねばならない
   あちらこちらから 静かにくる白い自動車は 病人をのせてあるく病院の自動車だ
   「よう恒夫か、足はどうだい」
   「もうもとどおりにはなおらんそうだ それでこんどは学校へはいってな 家畜研究をやっていくことになったんだ」
   「おおそうか しっかりやってくれ さようなら」
   自動車はいく ぼくはトラクターを動かす
   病人はだれでも無料で病院でなおしてもらう
   そして体にあう仕事をきめてもらうのだ
   だれでも働く みんながたのしく働く 自分にかのう(かなう)仕事をして
   村のために働いている 村のために働くことが自分の生活をしあわせにするのだ
   みんなが働くので こんなたのしい村になるのだ
   村の仕事は 規則正しい計画にしたがって 一日が時計のようにめぐっていく
   一年も時計のようにめぐっていく
   もう少しで 村のまんなかにある事務所から 交代の鐘がなってくるだろう
   そうしたら ぼくは仕事着をぬぎすて 風呂にとびこんで 体をきれいにする
   ひるからは 自分のすきなことができるのだ
   絵でもかこうか 本でもよもうか
   オートバイにのって 映画でもみにいこうか 今日は研究所にいくことにしよう
   こないだからやっている 稲の工場栽培は
   太陽燈の加減の研究が成功すれば 二ヶ月で稲の栽培ができる
   一年に六回 工場の中で 五段式の棚栽培で 米ができるのだ
   今に みんなをびっくりさせてやるぞ 世界中の人を しあわせにしてやるぞ
   村中共同で仕事をするから 財産はみんな村のもの
   貧乏のうちなんか どこにもいない
   子供の乳がなくて心配している人なんかもない
   みんなが仲よく助け合い 親切で にこにこして うたをうたっている
   みんながかしこくなるよう うんと勉強させてやる
   学校は 村じゅうで一ばんたのしいところだ
   運動場も 図書館も 劇場もある  ここでみんなが かしこくなっていく
   これがぼくらの村なんだ こういう村はないものだろうか
   こういう村は作れないものだろうか いや作れるのだ 作ろうじゃないか
   君とぼくとで 作ろうじゃないか 君たちとぼくたちとで作っていこう
   きっと できるにきまっている
   一度にできなくても 一足一足 進んでいこう
   だれだって こんな村はすきなんだろう
   みんなが 仲よく手をとりあっていけばできる
   みんながはたらくことにすればできる
   広々と明るい春の農場を 君とぼくと トラクターでのりまわそうじゃないか