言葉の殺人

michimasa19372009-01-18




新聞A紙の声欄に、21歳の大学生の投書が載っていた。
名前からして女性のようである。


 「言い合いをしていた男子の一人が捨てぜりふのように『死ね』と言った。
何げなく言ったようで、周りの級友は聞き流していた。
ところが、ひとりの女子が顔色を変えて食い下がった。
『あんた、意味分かって言ってるの?』
彼女は母を亡くしたばかりだった。
その後、『死ね』の言葉は教室で聞かなくなった。
 高校一年のとき、私は友人から『お前死ねや』と言われた。
口ぐせで冗談のつもりだったようだが、
『じゃあ、お前が死ね』
と本気で言い返した。
私の剣幕に友人は驚き、二度と私に『死ね』と言わなくなった。
もし、中学生のときの一件がなかったら、私が彼女だったかもしれない。
 大学生になった今も、『死ね』を安易に使う友人はいる。その都度、『よくないよ』と私は注意をすることを心がけている。
 中学のときに注意してくれた彼女の勇気に感謝したい。
本気の言葉は伝わるのだ。」


ぼくが現役だったとき、これは使えると思う投書を見つけると、早速それを学級通信に掲載して、
クラスの生徒たちの紙上討論に使った。
生活ノートに意見を書いてきてもらう。そこからいろんな意見を取り出して、次の通信に載せて、それを生徒に読んでもらう。
そして、また意見を書いてもらう。それを繰り返して、考えを深め、いろんな発見をしていった。
そのころは、「仲間はずれ」「無視」を取り上げることがあった。


「死ね」とか「殺せ」とかの直接的な言葉の暴力が、子どもたちの世界に出てきたのは1980年ごろだったと思う。
なぜ、そのころから、そのような言葉の暴力が目立つようになったのか。
「いじめ」が直接的に行なわれ、表面化するのと一致する。
1970年前後のさまざまな社会の対立、闘争、造反が、その後子どもたちの世界に影響を現し始めたのか。
メディアの影響か。
社会や文化の諸情況の変化か。
子どもの世界の、生活の変化か。


相手に打撃を与えたい欲求がある。
それがこのような安易で乱暴な言葉の使い方になる。
思いやり、気づかい、など細やかな心づかいが「キレル」。


クラスで取り上げるとき、どうしてそのような言葉を使ってしまうのか、
そこまで踏み込んだ紙上討論をする。
もちろん、紙上ではなく、音声言語で討議できればいいのだが、日本の子どもはそれがなかなかできない。
ホンネが言えない。
ディベートの訓練ができていないから、意見を言えない。
だから、ホンネが現れてくる文章表現を使う。


「本気の言葉は伝わるのだ」と投書の主は書いている。
本気の言葉の討議にしていく、それが学級会でも紙上討論でも、重要なテーマになり、指導目標になる。