『世界のシュタイナー学校はいま…』

michimasa19372009-01-10


強い風の吹く中、3キロの道を歩いて行った図書館の本棚で、一冊の本に出会った。
まだ読んだことのない本ではあったが、
手に取って見れば、それはなつかしく、わくわく胸を高鳴らせる、夢のような大型本だった。
表紙の、赤、黄、緑、青の絵具を塗り拡げた明るさと、中にふんだんに入れられた写真を見ただけで、
心が楽しくなった。
本の題名は『世界のシュタイナー学校はいま…』。


子安美知子さんの著した『ミュンヘンの小学生』を読んで感動し、
さらにシュタイナー学校で学んだミヒャエル・エンデの『モモ』を読み、シュタイナー教育に関心を抱いたのは、30年以上も前のことだったが、
シュタイナーはこちらの心の中の一本の糸のように続いていたのだった。
しかし、この30年、ぼくはそこに近づくこともしてこなかった。
子安美知子さんが、今から37年前、6歳の娘の手を引いて、ドイツの「ミュンヘンルドルフ・シュタイナー学校」の門をくぐったとき、
「あ、ちょっと風変わり、と足をとめるぐらいで、まさかこの学校が奥に深い哲学を秘め、
その水源から学校の外の世界にも多彩な流れを発しているなどと、予想していませんでした。」
と書いているその体験から、
シュタイナーは子安さんの人生に深く根を下ろした。
そしていま、日本のなかに、シュタイナー学校は確実にその形を現してきている。
長く長く一本の道を確かめながら歩んでこられた人々の道程を改めて知った感慨はあまりに深い。


子安さんは、その道程を振り返りながら、こう記しておられる。


 「事実のままに叙述し、すべてめでたしと謳いあげる響きを避けたい。
三分の一世紀の道は決して平坦ではなく、
茨の道か袋小路かと嘆き、
深い霧に迷い込み、
はたまた我が身の過ちに愕然とした日の何と多かったことか。
ともに歩んだ人との齟齬に苦しみ、
事態のあまりの難航に膝を折りそうになったことも一度や二度ではありません。
 それらを率直に認めた上で、初心に返って反芻すれば、
私はそもそもシュタイナー学校に人間のドラマを見て面白くなったのでした。
人間が見せる善悪・強弱・美醜とりどりの絵巻、
すなわち文学の世界がここにかさなる――それが私を引き込んだ、
と前に私は書きました。
 いや『世界のシュタイナー学校はいま…』の各国のリポートにも、
きれいごとで進んだお話など見あたらないといっていい。
さりげない数行の裏にも、
並ならぬ苦渋、葛藤があったことを偲ばせるものが隠れています。
じつはそのすべてがまるごと面白い、
と思えなければ、私のここまでの歩みはありませんでした。」


子安さんは、エンデと親交を深め、
アントロポゾフィーと呼ばれるシュタイナー思想を学び、そして同志とともに東京シュタイナーシューレを立ち上げ、
歩みを進めてこられた。
その後も、今も、シュタイナー学校運動は深化し、続いている。
そういう一本の道、
そこに人が寄り合い太い道になっていった。
並行して別の地域でもまた、
人が寄り合って、一本の道を切り開いている。


ぼくは、しばらくこの本を楽しみ、
わが生きる道を考えていこうと思う。


<注>
アントロポゾフィーとは、人間の中の精神性を、宇宙における精神性へとつなげていく認識の仕方である。」
ここには次の三つのことが含まれている。

・人間は、一人ひとりがその内に精神性を持つ。
・人間をかこむ外の宇宙にも、目に見えない精神性が作用しているので、その作用を発見し、研究する必要がある。
アントロポゾフィーは宗教ではなくて、認識の道を歩む提案である。それは同時に自己を発展させ、人間内部の精神性を活性化させる道である。

 つまり生活のさまざまな場面で、この研鑽の道を歩もう、という提案がアントロポゾフィーなのだ。

                               『世界のシュタイナー学校はいま…』