政治が生み出した危機

michimasa19372008-12-29





仕事を失い、住むところをなくしたたくさんの人々が、この冬空の下で、不安と絶望のなかにいる。
上田紀行が「生きる意味」(岩波新書)を出版したのは、2005年1月であった。
それから4年が経過した。
その間に、世界経済危機の嵐が起こるべくして起こり、日本にも嵐が吹き荒れている。
嵐はある日突如起こるものではなく、それまでに原因の蓄積があって、嵐となって現れる。
上田紀行文化人類学)が、上記の本でこんなことを書いている。


小泉政権が誕生した直後に閣議決定された『骨太の方針』の中では、現在の閉塞感はバブル以後の経済停滞によるものだとして、その停滞を打ち破るために、『市場の障害物や成長を抑制するものを取り除く。そして知恵を足し、努力をしたものが報われる社会を作る』とうたっている。
 一見当たり前のことを言っているようであり、誰もが反論できない内容に思えるが、しかしその本質は新自由主義的な経済政策そのものである。『知恵を出し、努力したものが報われる社会』と言われれば誰でも、『その通り!』と言いたくなるが、むしろその内実は『市場が<勝ち組>と判断し、報酬にあずかっている人たちを、<知恵を出し、努力した人>と認定しましょう』という逆の論理である。努力した人が報われるかどうかは最終的には市場が判断する。市場からの評価を受け、報われた人を努力した人と認定し褒め称えよう、という社会である。」


そして『骨太の方針』には、
「効率性の低い部門から 効率性や社会的ニーズの高い成長部門へと ヒトと資本を移動すること」
と記されていることに対して、
 「効率性の低い部門で働いている人はどんなに努力しても、認められず、低い報酬しか与えない。これは効率性の低い部門の労働者を企業がリストラすることを正当化していることである」と批判している。
リストラは政府の方針に沿うことになるというわけである。
「そんな効率性の低いところで黙々と働いているあなたは 知恵の足りないおバカさんですよ、だから低い報酬しか与えられなくても当然だし、あなたの知恵と努力が足りないのだ、自己責任なのだ、というわけだ。」


「生きる意味」のなかに、経済学者の高橋伸彰の意見を紹介しているが、それは、
「人間である労働者をカナ書きでヒトと呼び、人格のない資本と同列に並べて、そのヒトが人間として生きてきた歴史やそのヒトを取り巻く環境、あるいはその人の意思を考慮することなく、市場における効率性の基準だけで 生産性に低い部門から高い部門へと仕事を変えることが 日本経済性の基本だというのです。」
と批判している。


政策は今、働くことが出来ず、生きることに希望を見出せず、食べることさえ出来ない人を大量に生み出す結果となっている。