子どもを忘れた大人たち <ヘッセの幼年時代>

 ヘッセは「考察」という文章の中に自分の幼年時代のことを書いている。子ども時代を忘れてしまった大人たちは、もう一度この文章を読んで、自分のなかにかすかに生きている子どもの魂を取り戻す必要がある。
 保育園、幼稚園、学校などをつくるとき、さらに重要なのはこの社会をつくるうえで、子どもの意見が汲み取られたことがあるだろうか。子どもの意見は、言葉にはならないことが多い。言葉にならない子どもの意見は、どうして理解するか。それは子どもの心を汲み取ろうとする大人にしか分からない。
 ヘッセの幼年時代、その一部を書いてみる。


 <私は両親や先生からだけでなく、もっと高い、隠れた、神秘なもろもろの力によって育てられた。
 そのなかには、森の神、パーンもいた。それは、小さい、踊るインドの偶像の形で、私の祖父のガラス戸棚のなかに入っていた。この神や、なお他の神が私の幼年時代のめんどうをみてくれ、私が読み書きができない前からもう、東洋のひじょうに古い比喩や思想を私に詰め込んだので、私は後に、インドや中国の賢者に出くわすごとに、それを再会のように帰郷のように感じた。
しかし、私はやはりヨーロッパ人であり、しかも積極的な星のもとに生まれたので、激情、欲望、しずめがたい好奇心というような西洋的な性質を終生発揮した。
 幸い、大多数の子どものように、私も生活に欠くことのできない最も価値あるものを、生徒時代の初めにすでに学び、
リンゴの木や雨や太陽や、川や森やミツバチやカブトムシから教えられ、
森の神パーンに教えられ、祖父の宝物室にある偶像に教えられた。
 世の中のことを心得、恐れることなく動物や星と交わり、果樹園や水中の魚のことにもよく通じており、すでに相当の数の歌を歌うことができた。
 それから、それに学校の学問が加わってきた。そんなものは私にはやさしくて、なぐさみ半分だった。
 13歳まで私は、自分が何になるか、どういう職業を習得することができるかということについて、ついぞ真剣に考えたことはなかった。すべての少年のように、私は、猟師、いかだ乗り、御者(ぎょしゃ)、綱渡り師、北極探検家などのような職業を愛し、うらやんだ。
 だが、ずっとなりたかったのは魔術師だったろう。それは「現実」と呼ばれているもの、私には時としておとなのばかげた妥協としか見えないものに対する一種の不満にほかならなかった。‥‥
 幼年時代の魔術の願いは、子どもらしい目的に向けられた。
リンゴを冬にならせたい、
自分の財布を金や銀でいっぱいにしたい、
敵の自由を奪い、寛大さによって恥じ入らせ、勝利者の王となる、
埋められた宝を掘り起こし、死人をよみがえらせ、自分の姿を見えなくする。
 この姿を消す願いは、多くの変化した形で終生私につきまとった。大人になり文士の職業を営むようになってからも、自分の創作のかげに姿を消した。

 私は、ウサギとカラスを飼っていた。私は宇宙時代くらい長く、はてしない時間を、ぽかぽかと温かく、喜びのうちに過ごした。
 私はまた、限りない時間を、夕方、ロウソクの燃えさしのもとで、あたたかい眠そうな動物のそばで、ひとりで、あるいは友だちと過ごし、宝を掘り起こし、マンダラゴラの根を掘り、救いを求める世界に武者修行する計画を立てた。盗賊を裁き、不幸なものを救い、捕らわれ人を解放し、略奪者の城を焼き払い、裏切り者を十字架にかけ、謀反した家来をゆるし、王様のお姫さまを手にいれ、動物の言葉を理解した。
 私の祖父は、インドやセイロン、シャム、ビルマなどの東方の国に幾十年も住み、その国のものをたくさん持っていて、なんでも知っていた。祖父は、仏陀老子のことを知っていた。学問とおとぎ話が同居していた。祖父の部屋には神秘が満ちていた。私は祖父を愛し、尊敬し、恐れた。私は彼を期待し、信じ、彼からたえず学んだ。
 私のまわりには古くて小さな町があった。町のまわりには森林におおわれた山があった。厳粛でいくらか暗く、真ん中を美しい川が流れていた。これらすべてを私は愛し、故郷と呼んだ。森と川の中では、植物も土も石も洞穴も鳥も、リスもキツネも魚もくわしく知っていた。そういうものはみな、私に属し、私のものだった。私の故郷だった。
 私が出会った魔術的現象のなかで、重要だったのは秘密の小人(こびと)だった。小人が現れると、私はその小男に従った。彼は危険や困難の際に出てきて、私の前を走り、私に道を示し、救いをもたらした。今こそこうすべきだということを彼は私にして見せてくれた。逃げること、叫ぶこと、沈黙することを示してくれた。>