怒り

michimasa19372008-12-08




オバマ氏は、声を荒げたことがなかった、という記事を読んだ。
過去、アメリカの公民権運動に連なる黒人政治家は激しい怒りをもち、それを表明してきた。
だが、オバマ氏はどんな場面でも怒りを表に出すことがなかった。
討論会で興奮して声がうわずるのは決まってライバルの白人候補だったという。
オバマ氏の勝利は、黒人を『怒り続ける宿命』から解放するきっかけになるかもしれない。
それは同時に白人を『人種差別の原罪』から解放することも意味する。」
真鍋弘樹氏は、そのような予感を書いている。
オバマ氏は、自分のルーツを隠さない。
オバマ演説集」が、CD付きで出版されたと、「売れてる本」で紹介された。
2004年の民主党大会の演説では、ケニアで掘っ立て小屋に住んでいた父親のことや、
イギリス人の召使だった祖父のことから話し始め、
「薬代が払えないお年寄りがいたら、それは私の人生を貧しくします、たとえそれが私の祖父や祖母でなくても」と。
自己歴を隠すことはしない。
自分を産み、自分を育てた環境のうえにいまの自分がある。
奴隷解放運動から公民権運動へ、長い歴史のなかでの長い闘争をつないできた人々の人生があった。
そこに鬱積してきた憤り。
オバマ氏は怒りを脱ぎ捨てたのか。
そうかもしれない。
大統領という位置につくかぎり、
それを超えようとする生き方をやろうとしているのではないか。


石牟礼道子さんはもう81歳になられる。
今日、そのトークに注目する。(朝日12月8日)


「私の周りの年寄りたちは、子どもをほめるときに、
『おまえは魂の深か子じゃね』と言うんです。
『勉強ができるそうだね』とは言わない。
『魂の深か子』というのは、その子の人格をおもんぱかった、とてもいいことばです。
ほめられた子も意味を考えますし。
要は、人様を思いやることができるかどうかだと思います。
そういう心根のやさしさを、どうやって身につけていくかでしょう。
人をけ落とす力のある人が勝ち組になっていて。
けれども、人間には弱者をないがしろにすることを克服する知性があります。
いちばん最初にあるべき知性なのに、それに気づいていない大人たちが多すぎるのだと思います。
‥‥
夕方、海の方から畑に向かって西風が吹いてくる。
『西あげ殿が吹いてこらすぞ、早う戻ろう』って。
風にも敬称をつけるんです。
私の母は、小麦には、
『団子になってくれようぞ』、
畑の草には、
『二、三日来んうち、太うなったね』
と話しかけていました。
精霊たちとものを言っているんですよ。」


水俣病が発生してから、長い闘いをしてこられた。
だが、石牟礼道子さんの闘いは、憤りを胸に秘めた、魂の深か言論であったように思う。
最初の作品「苦界浄土」の原題「海と空のあいだに」は、昭和35年(1960年)に発表された。
こんな文がある。


「(水俣病の患者が)いわれなき非業の死を遂げ、生き残っているではないか。
僻村といえども、われわれの風土や、そこに生きる生命の根源に対して加えられた、
そしてなお加えられつつある近代産業の所業はどのような人格としてとらえられねばならないか。
独占資本のあくなき搾取のひとつの形態といえば、ことたりてしまうか知れぬが、
私の故郷にいまだに立ち迷っている死霊や生霊の言葉を階級の言語と心得ている私は、
私のアニミズムとプレアニミズムを調合して、近代への呪術師とならねばならぬ。」



水俣よりもはるかな明治、日本の公害の原点、足尾銅山鉱毒事件と谷中村の滅亡。
それを告発した「谷中村滅亡史」(荒畑寒村)に残る憤激の文章。
その一部。


「谷中村の滅亡は、世人に何ものを教えたるか。
正義の力弱くして、よるべからざることなるか。
人道の光薄くして、頼むべからざることなるか。
否否、資本家は平民階級の仇敵にして、政府は実に資本家の奴隷たるに過ぎざること、
これ実に谷中村滅亡がもたらせる、最も偉大なる教訓にあらずや。
見よ、政府は資本家古河の利益のために、とうてい容易に信ずるあたわざる、陰険邪悪なる手段をほどこして、
もって無辜(むこ)の人民を苦しめしにあらずや、‥‥
しかしてかくのごときもの、あにただに谷中村一個にとどまらんや。
現代社会におけるすべての貧者弱者は、これ実に谷中村民と運命を同じうせるものにあらずや。‥‥
呪うべきかな、黄金万能の時代よ、
憎むべきかな資本家政治よ、
彼ら今やついに最後の一撃を、谷中村の上に加えてこれを倒せり。
ああ、谷中村はついに滅亡せり、
その鉱毒問題より転じて、貯水池問題に至る、実に二十有余年。
一身を挺して暴虐なる資本家と戦い、政府の悪政を弾劾し来たれる谷中村は、
ついに歴史のものとなり終われり。‥‥
政府よ資本家よ、‥‥
田中正造翁が、
『勲章も、サーベルも、早晩必ず起こるべき天地の大転覆とともに、無用の長物となるべし。』
と絶叫せるを知らざるか。
天地の大転覆は早晩必ず来らん。‥‥」(明治40年