自然の摂理を喪失した文明




今日の日曜日NHK俳句(選者・長谷川櫂)の第一席に採られた句。


     狼や人なる闇の浅からず


人のなかにある闇は浅くはない。
闇はますます深くなるばかりの様相さえ感じられる。


不可解な事件が次々起きるのは何故。
文明も人も破滅に向かっているのではないか、とさえ思えるような。


政治学者・姜尚中さんは「自然の摂理に即した暮らし」について書いている。(「悩む力」<集英社新書>)


「人が自然の摂理に即した暮らしをしているときは、
有機的な輪廻(りんね)のようなもののなかで生きるために、
必要なことをほぼ学んで、人生に満足して死ぬことができます。」


「自然の摂理」とは自然界を支配している理法。
姜尚中さんは、「自然の摂理に即した暮らし」とは「私の母親の人生のようなものを言うのでしょう。その意味で、母は幸せだったと思います。」と言う。
姜尚中さんの母親の人生とはどんな人生だったのか。


「科学万能の流れのなかで、迷信や宗教などは駆逐されていきましたが、
それらは完全に消えたわけではなく、この世の片隅に散りばめられて残りました。
そのなかに『土発的』な知(自然の移ろいのなかで生きてそこから発するような知)の伝統が
ささやかに息づいていました。
母は言わば前近代的な宗教の伝統や習慣を守って生きていた人でした。
四季の行事、歳時記的なこと、人の生き死に、成長、衰退への考え方など、
そのありようはまるで旧暦の世界のようでしたが、
驚くべきことに、それは循環を繰り返している自然の摂理とぴったり一致していました。」


姜尚中さんの親は熊本に住んでいた。
在日の親の暮らしには、まだ伝統や習慣が意味を持って生きていた。


哲学者で農の暮らしをしている内山節さん。
彼は、群馬県上野村で、こんなことを書いている。


「いつの頃からか私の頭の中には、普通のカレンダーの暦と二十四節気の暦とが、存在するようになった。
それは、上野村で農業をするようになってからのことで、農事暦や村の暮らしの暦としては、二十四節気のほうが的を射ている。」


二十四節気というのは、中国古代の天文学で決められたもので、日本に入ってきてから江戸時代に日本人の暮らしに合わせて一部を変更し、広く使われた。
「俳句歳時記」にその暦が掲載されている。
一年を15日ずつに区切ったのが二十四気。その区分点を節気という。
さらに一つの気を5日ずつに分けた。それが七十二候。


二十四節気一覧表を見てみるとこんなのがある。

「正月節」15日間は「立春」、2月5日ごろから始まる。
  その最初の5日(初候)は、「東風解凍」。東風(こち)は春風。それが吹いてくると氷が融けだす。
  次の5日(二候)は、「うぐいす鳴く」。
「二月節」15日間は「啓蟄」、3月6日ごろから。虫が冬眠からさめる。
  その「三候」5日は、「菜虫為蝶」。チョウチョウが生まれてくる。
「二月中」15日間は「春分」、3月21日から。
  その初候は、「雀始巣」。スズメの巣づくりが始まる。
  二候は、「桜始開」。桜の花が咲き始める。
「三月中」は「穀雨」、4月20日ごろから。
  その二候は、「霜止出苗」。霜が降りなくなり、苗が出てくる。
「四月中」は「小満」、5月21日ごろから。
  その初候は、「蚕起食桑」。カイコが生まれ、クワの葉を食べ始める。


内山さんは、
十月の「寒露」や「霜降」の節から、秋野菜の成長を見守り冬の備えを積み重ねる。
春、「啓蟄(けいちつ)」、虫がでてくる。
咲きはじめたフキノトウの花に蜂がやってくると、春の農作業の準備に入る。
人間たちの春の暮らしがはじまれば、村は次第に春祭りへとむかっていくのを感じる。


そして、二十四節気の暦について、こんなことも書いている。


二十四節気から私が感じとるものは、自然であり、季節、村での私の仕事や暮らし方、村の様子である。
それは、あらかじめ作られている暦なのに、私の一年がつくりだした暦のような気さえする。
それに対してカレンダーの暦はまるで私の上に君臨しているような感じで、たえず私を圧迫しつづける。
二十四節気には、暦とともに、つまり時間とともに生きているという充足感があるのに、カレンダーの暦にむかうと、消えていく時間、過ぎ去っていく時間ばかりが感じられて、時間自体のなかに充足感がなくなる。」


もともと太陽暦太陰暦も、天体の動きから生まれたものではあるが、
今使われているカレンダーの暦は、すっかり自然の営みから断絶してしまった。
内山さんは、二十四節気の暦とカレンダーの暦との違いを、
「結ばれていく時間」と「断片化していく時間」であると感じた。
村の時間は、結ばれていく時間。
農の仕事の時間と農の暮らしの時間は結ばれ、それは自然の時間や村の一年の時間とも結ばれる。


「かつての日本の社会には、仕事と結びついて信仰されてきたさまざまな神様がいた。
稲作は田の神、水の神に結ばれていたし、私の村には養蚕の神様も残っている。
山村に行けば今でも山の神は大事な神様で、山で仕事をするものは毎年山神祭を欠かさない。」


内山の論は次のように展開する。


「仕事から神や祈りが消えた現代の労働は何を失ったのだろうか。
仕事は人間の側の働きだけになって、働きかけられている世界が見えなくなった。
自然は働きかける主体ではなくなり、単なる資源や改造の対象になった。
それがどれほど自然と人間の関係を変えたことだろうか。
働きかけられながら働くことを忘れたとき、仕事のなかから他者が見えなくなった。
他者は、消費者、納入先、発注者というように、自分の側から設定した他者にすぎなくなった。
労働が自分の働きだけになったからこそ、市場での勝者になることが目的になり、仕事とは自己実現であるというような品のない言葉が、大手を振って通用する時代が生まれたのではなかったか。
私たちの時代は、根本的な何かが間違っている。」