ブッシュ大統領と戦争責任

michimasa19372008-12-03





12月1日、ブッシュ大統領が、言ったそうだ。
「大統領の職にあったなかで、最大の痛恨事はイラクの情報の誤りだった。
多くの人がフセインを排除する理由に大量破壊兵器を挙げていた。
政権の人間だけでなく多くの議員もそうだった。」


誤った情報を信じてブッシュは動いたのか。
誤った情報を利用してブッシュは動いたのか。
誤った情報であるかどうかは問題ではなく、開戦の大義がほしかったのか。


ブッシュを後押ししたのは、何?


では今、その戦争責任はどうなる。
ゴーサインを出して、遂行してきた最高責任者に罪はないのか。


現代の先進的な民主主義国家は、発展した市民社会を形成し、
良心や思想にもとづいて、戦争にも反対し行動する国である――、
これはほんとうだろうか。
ほんとうに戦争への抑止力を生み出したか。
内山節が考察したことはこうである。


「今日の社会ほど抵抗なく戦争を遂行できる社会はない。」


だから、実際にこういう展開になった。すなわち、

「日本の政治体制は、ほとんど国内の抵抗を受けることなくイラクに出兵することができた。
アメリカはたえず戦争の相手を見つけては、戦争の歴史を継続している。
イスラエルは残虐な戦争国家でありつづけている。
イギリスはしばしばアメリカの同盟軍として登場し、フランス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ諸国も、戦場に多くの自国の旗を立ててきた。」


なぜ?
これらの国はすべて近代化された市民社会を成立させている国である。
情報を集めようと思えばいくらでも集めることができる。
自分の意志を表明できる。
仲間を募ってグループをつくることもできる。
にもかかわらず戦争が続く。
なぜなのか。
それはそうなる構造を近代国家と社会は持っているからではないか。


「私たちの思考回路は、むしろ逆に回転させるべきだろう。
それは近代国家と近代的市民社会は、戦争を行なう芽を内包させているという視点である。」


内山が長年考察してきたのは、このことだった。
そこで焦点を当てたのは「現代の労働とは」だった。
現代の労働を考えることから、人間、社会、文化、国家、思想を考察していった。


アメリカ軍がイラクに侵攻したとき、一人の女性兵士がイラク側の捕虜になった。
そのことが報道されたとき、女性兵士の母親の言った言葉を紹介している。

「戦争は田舎娘にとっては千載一遇のチャンスだったのに」

戦争は金をもうけ、成りあがるための格好の手段であり仕事であると。

現代の仕事、現代の労働は、市場経済のなかでつくられ、壊れていく。
戦争も仕事。


戦争責任を裁く国際法廷は、ブッシュの責任を問わないのだろうか。
それを問うことは、アメリカという国家を問うことになるだろうか。
アメリカを問うことは、現代の世界経済を問うことになるだろうか。
さらには現代の人間の思想と生き方を問うことになるだろうか。