難問を考え続ける


いま、柱の刻みに入っている。
最も難しいのが梁の取り付け。
解体した家からもらってきた古材の梁(はり)は2間の長さで、太鼓橋のように弓なりになっている。
それを柱の上にどのように取り付けるか。
古材の端を見ると、わけの分からない刻みになっている。
この刻み部分をどのように柱の上または桁(けた)にはめこんでいたのだろう。
建物をがっちり支えられるのだろうか。
柱の上に直接太鼓梁を載せるのがいいのか、柱の上に桁材を組み、その上に梁を取り付けるほうがいいのか、
2間と1間のつなぎの梁と3間を1本で通す梁と、この2種類をどう組むか。
天井をつくらず、屋根まで吹き抜けの平屋建てだが、一部分にロフト(屋根裏部屋)をつくる予定なので、それをどうつくるか。
それらの難問に、よしこれでいこうという名案が浮かばず、今やることをやりながら、ずーっと考えている。
頭の中に想像図を描くのだが、それがすっきり描けない。
考えながら毎日を過していると、夜眠っていても脳は働いていて、
不思議なもんで、昨夜、午前何時ごろだろうか、眠りながら考えていたのか目覚めて考えていたのか、
その境目がはっきりせず、ずーっと考えていたような感じなのだ。
そして、目覚めた自覚のあったとき、ぱっと名案が浮かんだ。
実にすっきりした構造の全体図が頭に描けていた。
太鼓梁が解決すると、他の問題もすべて解決した。
設計図も変更。
こんがらがっていた糸がほどけた感じだ。


こういう体験はこれまでも何回かあった。
難問をかかえて、方法が見つからない。
どうしたらいいかといつも考え、観察していると、あるときヒョコンと解決策が頭に浮かぶ。
若いころだったら、もっと短期に案が浮かぶのかもしれない。
回転が遅く、のんびりしてきた頭脳だから、名案にたどり着くのに時間がかかるのか、
そのあたりはよく分からない。
年をとればそれだけ経験をつんでいるから、のんびり頭のせいとも言い切れない。


よく分からないが、考え考えやっていけば、そのうちに解決策が浮かぶことは事実。
難問を抱えていても、あきらめない。
すぐに投げ出さない。
必ず良策が湧いてくる、
頭脳はそういうもののようだ。