木曽の材木商

地元の家屋解体業者から柱の廃材は手に入らなかった。
ちょうど解体する家があり、柱をはずすことができるか、やってみましょうと、
業者の奥さんから返事をもらっていたが、
重機で壊す工事ゆえに、柱を分離して取り除くにはやはり手間が掛かり、
やれなかったということだった。


廃材といっても、古材はむしろよく乾燥していて、
昔の普請の廃材の場合は、ヒノキの頑丈な柱材を手に入れることができる。
しかし、古民家などのいい材を使っている価値の高いものは需要もあるが、
一般的な家屋の解体では、柱も梁も棟木も、ぼきぼきと重機で折ってしまう。
結局燃える木材は、燃やされてしまうのだ。


工房の建築確認申請を役所にしてくれた建築士のSさんから、木曽の材木商を紹介してもらった。
FAXしてみると、電話がかかってきて、おやじさんが、
建物の構造や、どのような材を使うつもりかなど、いろいろ訊く。
その話し振りや、アドバイスの内容を聞いていて、人のいいおやじだなと分かる。
その後、見積もりの金額などがFAXで返ってきたのを見れば、
ヒノキやサワラなどの木曽の木が多く、ホームセンターや近所の材木商より価格が安い。
よし、購入はここにしよう、と決めて、店と物を見せてもらいに木曽まで行った。


場所は木曽谷に入って、真っ盛りの黄葉のなかを20分ばかり走った漆器の町にあった。
木曽の黄葉は、ただごとではない。
黄葉の山の斜面が、怒涛の如くおおいかぶさってくる感じだ。


材木屋は、さすが木曽だけのことはある。
製材された木が、傾斜地に作られた複雑に入り組む倉庫や製材所に、
所狭しと積み上げられ、立てかけられている。
木曽は材木の豊かな産地であった。
昔は、木曽の五木と言われていた。
五木は、ヒノキ、サワラ、クロベ、ヒバ、コウヤマキ、これらは江戸時代、山林の制度で、伐採を禁じられていた。


おやじさんは、がっしりとした体格で、50代ぐらいに見える。
薪ストーブの燃える暖かい事務所、そこも使い込まれた木の部屋で、
店全体が、どこもかしこも、何もかもが、木だった。
入り組んだ材木置き場を案内して、説明してくれる。
「どんなものを建てるだ?」
「梁と桁とをどのようにつなぐだ?」
「横からの力が加わったとき、建物がひずむ。そのためには水平の筋交いを入れとかなきゃ。」
こちらが素人だから、根掘り葉掘り聞いては、意見を言う。
その率直さがありがたい。
こちらが考えもしていなかった構造上の注意もしてくれて、
「端から端までの通しの梁を、せめて2本はいれておいてください。つなぎの梁だけでは、強い力がかかれば、建物がばらばらになります。」
というアドバイスをもらう。
その結果、5.5メートルの長さの梁を2本入れることにした。
「早速、明日運びましょう。」
話は早い。


久しぶりに、いい仕事をする人にめぐり合った。
日本の林業は衰退して久しい。
国産材の需要がこのごろ少し上昇の兆しがあるということだが、
安価な外材に押されて、日本の森林も荒れてしまっている。
このおやじさんのような、伝統に生きる人の貴重さを思った。
商売は、営利だけを目的にするものではない。
商売を通じて、人々の役に立つ。
それをおやじさんは実践している。


帰り道、アルプスグリーン道路を通っていくと、
穂高連峰の、のこぎりのような峰峰が、シルエットになって見えた。
穂高を見たことで、うれしくなった。