調和の美の欠落


木立を配した伝統の美。


地元自治会の臨時の評議員会があった。
大型の薬局店舗が進出してくる計画があり、計画案を地元自治会として承認するかどうかという議案だった。
出店する会社側から二人の代表者が来て、計画案を説明した。
計画では、敷地面積2800㎡、医薬品のほかに健康食品をはじめ、日用雑貨と食品も置くという。
既に営業して多くの客を集めている大型スーパーマーケットに隣接して店舗を建てる。
繁盛している店の周りに、新たな店舗を建てることで客を引き寄せ、商業の核の地になればさらに客を寄せることができるというねらいを代表者は説明した。
安曇野には市の景観条例規制があり、それに従って計画案をつくり、さらに地元の「常念展望の里委員会」の合意と地元自治会の了解を得て建設が可能になる。
建物の高さ、これは条例にしたがって低く抑えた。
建物を建てる位置は、「常念展望の里委員会」との話し合いで、道路よりも奥に引っ込めてほしいということだったから、そうすることにした。
あとは地元住民のみなさんの賛同を得るだけですということだった。


評議員からは、従業員にパートの地元住民を雇うか、地元産品を売る計画はあるか、売られる品物は教育的によくないものはないか、地元自治会と協力していくか、営業では安全が考慮されるか、などが出された。
計画の立面図を見ると、やはり『調和』という観点の欠落だった。
店は、赤と黄色とブルーの、ショッキングカラーだ。
そこでぼくは意見を出した。

「景観との調和が必要です。スーパーの上に既に存在している二つの企業、近藤紡績とゴールドパックは、建物の高さだけでなく、デザインも風景との調和を考えており、工場の周辺を豊かな樹木で囲っています。あなたがたの計画では、高さは基準を守っているが、景観に重要な役割を果たす、高木を植えるということを考えていないのですか。」
「背の高い木は植えませんが、低い植栽はします。わたしとこは、工場ではなく商店ですから。」
要するにスーパーの方角に目立たせて人を呼ぶという商売流儀優先ということだ。
「商店だから、赤や黄色とブルーの原色で塗り、高木も植えないということですか。近くに開運堂というお菓子店がありますね。あれはどうですか。すばらしい作り方ですよ。」
「たしかにあそこはそうですね。」
開運堂という菓子店は、洋菓子も和菓子もそこで製造販売していて、常念岳を見晴るかす、木立に囲まれた店の庭には安曇野の湧き水がこんこんと流れ出ている。清水を自由に飲むこともでき、庭をゆったり眺めて憩うこともできる。
風景に調和して、むしろ風景の一部になって風景をより美しくする建造物、それこそが未来の安曇野に生きてくる。
商売をするなら、家を建てるなら、そこまで考えてほしい。


『調和』ということ、企業も行政も、この観点が欠落している。
住民も又その点がきわめて弱い。
人の歩く道、緑の並木、これは決定的に欠落している。
自然や田園は豊かでアルプスが見えるから、景観が保たれているように思っているが、
人間の暮らしの空間に、
ゆっくりたたずみ、腰を下ろして、楽しんでいたいという場が足りない。
天を覆う豊かな並木のある歩道は皆無だ。
道路は、車のものになっている。
歩く人や自転車に乗っている人は命の危険にさらされている。


さらに風景に調和したデザインが乏しい。
色とりどりの新興住宅地の家は、自然と田園に不協和音、違和感をもたらす。
建物と、自然・田園との調和、
建物と建物の調和、
この調和なくして、安曇野の美は生まれない。
醜悪な勝手気ままな建造物がはびこりだしている。


梓川からの水路、烏川からの水路、奈良井川からの水路、
網の目のように安曇野を流れる豊かな水路、
それらは先人からの偉大な遺産だが、
その逆に、里山も小川も住民の生活から断ち切られている。
子どもたちも憩える清流の岸辺、
子どもたちの遊び場、住民の憩いの空間、
それらがわずかな点になってしまっている。
なくなってしまっている。