日本という国

 

 司馬遼太郎は1945年、23歳の兵士であったが、特殊潜航艇による海の特攻で命を失う寸前、敗戦になって生き伸び、作家となった。戦後41年の1986年、司馬は「この国のかたち」というエッセイを「文芸春秋」に連載開始する。

 エッセイの中で、司馬は予言的なことを書いている。1905年の日露戦争から日本が滅ぶ1945年までの40年間の日本は、「鬼胎」のはびこった時代だった。巨大なアオミドロで、形の不定な恐ろしい、訳の分からない鬼のようなもの、それがのさばった時代。いったいこの無謀な戦争は何なんだ、訳の分からない戦争。この40年を支配したのは、軍人エリートによる参謀本部と「統帥権」であった。この「鬼胎」によって国家としての歯車が狂ってしまった。

 

 船曳武夫(文化人類学者)は、「日本人論 再考」(NHK出版)で、司馬遼太郎の「この国のかたち」を考察している。船曳は、明治維新から現代までを、ほぼ40年という間隔で区切った。
 明治維新­――(40年)――日露戦争(1905)――(鬼胎の40年)――アジア太平洋戦争敗戦(1945)

 日露戦争勝利の年、夏目漱石は本格的に小説を書き始め、「三四郎」を書いた。小説の中に広田先生が現れる。三四郎は広田先生に、

 「日露戦争後の日本は発展するでしょうね」

と言った。すると、広田先生は一言、

 「亡びるね」

と応えた。その予言は、40年後に日本滅亡という結果になって現れる。

 船曳は問う。なぜ明治維新後の健康な体制の日本が、40年後に「鬼胎」を生んだのか。明治維新の志士たち、明治国家のエリートたちは、確かな展望、考え方をもって国づくりをしてきたのか。

 「鬼胎」のはびこる日本は、侵略国家となり、敗戦によって戦後の平和憲法の時代となった。そして40年を経て、日本はバブル景気に沸いて、またもや次の危機をはらんでいる。

 危機を予言し、司馬遼太郎は1996年に亡くなった。今や、鬼胎は人類、地球規模に及んでいる。

 

 1945年(敗戦)――(平和国家建設、経済発展)―― 1985(バブル経済崩壊)(自然災害)(自然・地球環境破壊) ――2023