一人暮らしの高齢者

80歳を過ぎているお向かいのマーばあちゃんは、脚を傷めてから歩くのはおぼつかない。
でも、外出のときは真っ白なかっこいい車でさっそうと出かける。
ずーっと一人暮らしだ。


マーばあちゃんは、車を点検してもらおうと業者に連絡した。
翌朝、業者がやってきた。
マーばあちゃんからキーを借りて、業者は車を持ってかえり、午後、点検を済ませて持ってきた。
ところが、呼び鈴を押しても返事がない。
何度も押したが反応がない。
困り果てた業者は、家にいるはずなんだが、どうしたもんかのう、と思案している。
「キーを渡しておきましょうか。」
見かねた家内が、キーを預かった。
「おられるはずなんですがねえ。」
業者が申し訳なさそうに言って帰っていった。


どうしたんだろう、マーばあちゃんの姿が見えない。
庭にいる犬のマミに訊ねてみたが、知らん顔をして寝ている。
外出用の黒い靴が、庭に面した上がりがまちに脱いである。
呼び鈴を押してみた、やはり返事がない。
玄関の戸をあけようとしたが、鍵がしまっている。
庭の上がりがまちから声をかけてみたが、顔を出さない。


ぼくはまた仕事にかかり、
夕方になった。
確かに「つるべ落とし」の秋の日、夕暮れの時間帯が短い。
みるみる暗くなって闇がひろがる。
マーばあちゃんの家に電灯はつかず、いるのかいないのか、気配もない。
介護の施設かなにかに出かけているんだろうか。
それにしては遅すぎる。
ぼくは預かったキーをヤッケの胸のポケットに入れたまま、裏口に立って辺りを観察していた。
何かあったかもしれないな。


仕事の後片付けをしてから、またマーばあちゃんの裏口に来てみたら、
あれ、マミがいない。
ははん、ミーおばさんが来て、マミを散歩に連れて行ったんだな。
ミーおばさんの自転車がマミの小屋の横にある。


マーばあちゃんのこと、ミーおばさんが知っているかもしれない。
ミーおばさんの帰りを待つことにした。
なかなか散歩から帰ってこない。
待つときは時間が長く感じるものだな。
田んぼの中の道をぐるっと一回りしてくるいつものコースではなくて、車道ばかり歩いてきたみたいで、
ミーおばさんがやっと帰ってきた。
外灯の光がなければ、顔も見えなかった。


「マーばあちゃん、どうしたんかねえ。」
「おかしいねえ、出かけているはずはないと思うんだけど。」
ミーおばさんは、いつもはばあちゃんがやるマミの餌と水をやってから、玄関のリンを鳴らしたり、庭の上がりがまちから声をかけたりしていた。
すると、家の中で何かが動いた。
と思うと、障子を開いた。
いた、いた。


ガラス戸をあけたマーばあちゃんは、畳に正座したまま、のどをおさえている。
顔はやつれて、声もとぎれがち、ぼろぼろの様子だった。
「のどに、できものができて、痛くて、何も食べれないし、水も飲めないし」
ずっと寝ていた。微熱もある。
かかりつけの医者に電話したが、忙しくて往診はできないと言われた。
「私が車で連れて行こうか。」
とミーおばさんが言った。
「救急車を呼ぼうか。」
ぼくが言う。
マーばあちゃんは手でさえぎるように、いらないと言う。
食べ物や飲み物を持ってこようかと言っても、のどを通らないと言う。
諏訪の姉に連絡したから、とマーばあちゃんが言うから、
とりあえず様子を見ようと、ばあちゃんを寝かせて家に帰った。
「村医者のY先生だと、来てくれるんだがね。以前、断られたことがあって、信用しないだね。
頑固だからねえ。」


夕食をすませてから、もう一度見に行った。
行くと、ちょうどご近所のOおばさんも来られた。
庭の上がりがまちから、Oさんが声をかける。
「ねえさん、いるかい。」
ガラス戸が開いた。
マーばあちゃんがぺたんと座敷に座っている。
苦しそうだった。
なんとか水分をとらないとあぶないからと、すすめるがやはり飲めないという。
じゃあ、氷でもいいから口に入れて、とOさんが説得する。
結局、今晩は様子を見ることにして、非常の場合は救急車を呼ぼうということになって帰った。


翌朝、Oさんが訪ねたら、昨夜氷を口に入れたら熱が下がり、パンを一切れ食べることが出来た。
自分で医者にも行けるから、午前中行ってくるということだった。


昼過ぎ、医者に行ってきたマーばあちゃんが、白い車で帰ってきた。
「点滴打ってもらっただ。少しましになっただ。」
なんとか元気になれそうだった。


Oさんが、何が食べたいと訊くと、マーボー豆腐を食べたいと言った。
Oさんも仕事があるので、マーボー豆腐は作れないが、
夕食に何か用意するつもり、と電話の向こうでOさんが答えていた。


一人暮らしの高齢者がこれからもっと増える。