風の又三郎

2学期、一人の転入生があった。
「二年生です。どなたか、クラスに受け入れてくれますか。」
教頭が言う。
教務部からの話では、いっさい転入に必要な書類はなかった。
「事情があるようで、なんでもこの地域に住んでいる親戚を頼って来たみたいです。
昨日、その親戚の人が連れてきたんですよ。母親と二人で福岡から逃げてきたということです。
だからこの学校にいったん受け入れて、知らない人がこの子を捜しに来ても、引き渡さないでほしいということですわ。」
ヤクザか何か、追っ手が来るかもしれないという。


小さな子だった。小学生と見まがう、ゴマメのようなかわいい男の子だ。
二年の担任は他に5人いるが、積極的に受け入れようとはしない。
だいたい黙っていると、ややこしい話は、ぼくのほうに来ることになる。
「じゃあ、私が引き受けましょう。」
前の学校では番長だった子を引き受けた年もある。その子は転入してきてこっちの学校の番長になったが、
あの時も、誰も引き受けなかったから、ぼくのクラスになった。


風の又三郎君です。九州から転校してきました。」
ぼくは教室へ連れて行って紹介した。
又三郎が彼のニックネームになった。
又三郎は、ぺこんと頭を下げた。
「席と班はどこにしようかな。」
「先生、私とこ。」
美和が笑顔で言った。
ぼくのクラスでは、班を作って班で学習も掃除など生活も協力しながらやっていた。
又三郎は美和の班に入ることになり、席もそのなかに決まった。
美和の班には、クラスでいちばん小さな一郎がいて、やんちゃだけれど勉強も運動もきわだって後れていた。
又三郎は、たちまちクラスになじんだ。
一郎はクラスのなかで格段に後れていたために、あまり親しく遊ぶ子がいなかったから、又三郎は格好の仲よしになった。
班活動のときは、机を6脚くっつけ、一つの大きなテーブルのようにして、その周りに6人は座る。
さっぱりした気性で、男の子にも遠慮なくものを言う美和は、弟を世話するように又三郎に接した。
又三郎と一郎、二人は並んで勉強した。
又三郎は一郎よりも一歩理解が速かった。
休み時間、又三郎は一郎といっしょにふざけ、遊びまわり、たちまちクラスの人気者になった。


転入してきて10日目、2時間目の授業の最中だった。
「先生、あの子また転出です。」
教頭がやってきて、今すぐに家に帰してほしいと言う。
母親からの連絡で、またどこかへ移ることになったのだ。
廊下でそのことを聞いたぼくはみんなに伝えた。
「せっかく仲良くなったのに、又三郎はまた転校します。今からです。」
「えーつ」
「えーっ、そんなあ」
生徒たちは叫んでいる。
二百十日(にひゃくとおか)」にやってきた又三郎、「二百二十日」に又どこかへ去っていく。
お別れの会もできない。
又三郎はかばんを持って、教室を出て行った。
「先生、私、見送りにいく。」
美和は言うなり、教室を飛び出し、あとに一郎が続いた。
生徒たちの心が噴出すると勢いは強かった。さえぎることは出来ない。
クラスの子らは全員教室から校門に走った。
授業よりも大切なものがある、そんな無意識のメッセージを彼らは発しているように思えた。
ぼくも後に続いて校門に行くと、鉄格子の門の向こうに又三郎はいて、美和や一郎たちみんなは門の内側から鉄格子ごしに叫んでいる。
「又三郎、元気でやれよ。」
「又三郎、さようなら」
「バイバイ、又三郎」
太い鉄パイプをにぎって、子どもたちは別れを惜しんだ。
又三郎は手を振りながら、去っていった。
どこへ行ったのか、それなり又三郎の消息はない。