官僚主義とノーベル賞


半世紀前は学校内の印刷物はガリ版印刷だった。
ガリ版印刷とは謄写版印刷のこと。
細かい凹凸がつけられた金属やすりの上に蝋原紙を置き、鉄筆で文字を書くと、
文字の部分に細かい穴があく。
インクをつけたローラーを原紙の上を転がすと、
穴を通って出てくるインクによって紙に文字が印刷される。
1枚1枚、手で刷った。


そのころは、学級新聞や文集、テスト問題、PTAへのお知らせもガリ版印刷だった。
学校の中には、「ミスターガリ版」のニックネームを持つ教師がいて、
彼の書く文字は実に美しく印刷された。
教師になって3年目、ぼくのクラスに学級新聞社が2社生まれた。
今は大阪で活躍する在日のコウ・チャニュウ君や香港で日本料理レストランを経営する辰巳君らが一方の新聞社、
もう一方は伊賀上野で会社をつくった仁科君ら。
ぼくは、ポケットマネーで簡単な謄写版を購入し、いつでも使えるように教室に置いた。
新聞社の生徒たちは、手にインクをつけながら、競争相手と競うように学級新聞を発行し、
終りの学級活動の時間にそれを配った。
インクの匂いのするザラ紙新聞をクラスの子らは食い入るように読んでいた。
生徒は学級新聞を、ぼくは文集を、学級の謄写版は大活躍をした。
印刷技術はそれから急速に進歩し、ガリ版印刷は姿を消していった。
今は学校にコピー機と、高速で印刷できる機械が置かれている。


1950年の中ごろ、大学の自治会でガリ版印刷をしていた執行部の学生がいた。
彼は、学生運動のビラを作って配っていた。
ビラ作りを通して彼は、ひとつの発見をする。
1枚の蝋原紙で印刷できる枚数には限度がある。
彼は毎回1800枚の印刷をしていたが、1800枚にもなると途中で原紙が切れたりして紙面が汚れ、文字が読めなくなった。
印刷文字が読めない状態になったとき、自分はどうするか、他の学生はどうしているか、
観察していて、共通点があることに気づいた。
自分が直接関与している運動のときは、そういう状態になったら印刷を中止する。
そして新たにガリを切り直すか、やめるか、どちらかにする。
ところが、自分が直接関与していない運動のビラの時は、中止をしないでそのまま印刷を続けて、目的の枚数をつくる。
原紙がだめになって、印刷がめちゃくちゃになっていようが、予定の枚数だけは印刷する、
何のために印刷しているのか分からない、
何のためにそれをしているのか分からないのに、続けるというのはしんどい。
自分が目的を持っていない作業はしんどいものだ。
観察してみると、このことは他の学生にも共通している。
これが発見であった。


どうしてそうなるのか。
彼はそれから、状態がだめになっていても続ける印刷を、
官僚主義の印刷」と表現した。
要するに、目的なんかなく、ビラを作ってまいた、という証拠だけほしい。
成績がほしい。やったという成績がほしい。
ビラを受け取った学生が、読めなくても構わない、印刷はしたという成果だけがほしい。
だから官僚主義


このような考察をした学生は誰かというと、後の『仮説実験授業の会』代表の板倉聖宣
何のためにそれをするのか、目的が必要。
目的にむかって実践するときに、予想を立てる。
予想を立ててやってみてどんな結果が出るか考える。
いろんな予想を立て、その結果を考え、目的をチェックする。
そこから「実験」が重要になってくる。


広辞苑」によれば、
官僚主義」は、
専制・秘密・煩瑣・形式・画一などを特徴とする。
官庁だけでなく、政党・会社・組合など大規模な組織に伴うこともある。
官僚政治にともなう一種の傾向・気風。」
とある。


4人の日本人学者が、
予想を立て、膨大な量の実験をやって、
ノーベル賞を受賞した。