現場を知らないものたち

日教組が道徳教育に反対してきたから、教育が荒廃した、
結果モンスターペアレントも出てきた、という批判。
町村氏が中川氏を弁護して発言した。
辞任した中川国土交通大臣は、小泉時代文部科学大臣だった。
福田内閣官房長官だった町村氏も以前文部科学大臣だった。
彼らは学校、教育の現場を、腰をすえて観たこともない。
だから、こういう見方に陥ってしまう。


ぼくが観てきた現場では、日教組の教師たちは、道徳教育に反対したことはない。
文部省が上から下へ、官製の「道徳教育」を押し付けることや徳目主義に反対したのだ。
根底に、かつての修身教育のあやまちへの反省があった。
いかに生きるべきかを考え、よりよい社会をつくっていく人を育てるにはどうしたらいいのか。
その教育は道徳の時間を特設して、徳目を教えることでできるものではない。
結局は形骸化し、授業は破綻し、知識を教えることに終わっているケースが多かった。
家庭、学校、地域社会、情報化社会、国、それら総体のなかで子どもは育つ。
学校の中では、全ての授業、教育活動、教師の存在、それらのなかにめざす道徳教育、倫理教育が存在するのではないか。
犯罪を犯した人たちに道徳テストを行なったら、
成績はよかった、という研究をかつて読んだことがある。
知識として知ってはいても、生き方にならなかった。
欲望や感情をコントロールできず、
人と共に生きていく力が育たず、
社会のひずみにうちひしがれて、自暴自棄に陥ってしまった。


現状をつぶさに見たこともないのに、現場はこうだと決めつけるのは、
たぶん文部官僚の見方、状況認識を聞いて、それが大臣の見方、考え方になってしまうのだろう。
文部官僚は、各地方教育委員会の情報から、現場はこうだと、とらえる。
学力問題も、道徳教育の問題も、いじめや非行の問題も、学級崩壊の問題も、
本当のこと、実態を知らない。
それでは、現場にいる学校の校長教頭という管理職は、実態を知っているか、というと、
現場にいながら分かっていない人が圧倒的だったというのがぼくの体験してきた管理職観である。
校長室にいて、しばしば役所や校長会、教育関係の会議に出張し、
教師たちと接するのは学校での会議の席だけ。
それで子どもたちや教師たちの、生々しい教育の事実が分かるはずがない。
そういう管理職の見方、なかには責任回避の自己弁護の報告があるだろう、
それが教育委員会に反映し、「おかみ」に上がっていくのだから、
当然「おかみ」の見方は偏ってくる。


組織のトップは、現場から遊離しやすく、
したがって施策、方針が硬直したり間違ったりすることは、あらゆる組織に見られることである。
役所の人間が役所の建物を出て、人の暮らしの中に入っていって、庶民の暮らしはどうなっているか、じっくり話を聴くことはない。
人々は何に悩み苦しんでいるか、何を楽しみにし何を生き甲斐にしているか、
問題の原因は何か。
現場へ出て行く、足で歩く、それなくしては本当のことは分からない。


ぼくは実にさまざまな実態を観てきた。
学校によって特色があった。
最初に赴任した学校は、組合活動にきわめて消極的な学校であった。
組合に入っていても運動には参加しない人がほとんどだった。
牧歌的な学校で、教師たちは個人個人仲良しのグループをつくり、自分なりの教育実践を行なっていた。
その教師たちのなかに出身大学による学閥の対立があった。
学閥は教育委員会から現場まで、先輩後輩のピラミッドをつくっていた。
二校目は、数人の活発な運動家のいる学校で、彼らは一つの政党を熱烈に支持していた。
その他の教師たちは組合運動に活発ではなかったが、活動家と共に仲よく自分の実践を行なっていた。
そこでは学閥の対立は全くなかった。
三校目は、新設校だった。
教育の目的を掲げて教師集団で討議しながら実践していく、先進的な学校だった。
組合活動は、よりよい教育を創造していくために欠かせないものと考えられ、全員が組合に加入していた。
教師たちは、昼も夜もエネルギッシュに子どもたちと取り組んでいた。
ぼくが同僚たちと日教組の教育研究全国集会に参加したのはこの学校においてであった。
四校目、組合に加入している人は8割ほどだった。
そのなかは二つに分かれ、教育実践でも考え方が対立することがあった。
2割ほど組合に入っていない「非組合員」の教師のなかには管理職への道を考えて組織に入らない人もいたが、
その他の人は、波風を立てないで、無難に平穏に毎日を過ごしたいという感じだった。
新たな教育創造の気風は存在しなかった。
五校目、組織率は9割ぐらいだったか。
だが、組合に入ってはいても組合活動に参加するのでもなく、のんびりとマイペース、みんな淡々と過ごしていた。


総じて、教育実践に情熱的な教師のなかには、組合活動にも熱心な人が多かった。
それもそうだろう、人間としての生き方を考え、社会のあり方を考えながら、実践する人たちだからだ。
しかし、組合員教師の中にも、型どおりのことしかしない、手抜き指導をする怠け者のいたことも事実。


こんなことをささやかれたことがある。
「校長になりたければ、組合を止めたほうがいいよ。」
管理職への道を志す人は、非組合員になり組合活動から遠ざかるべし。
教育指導は無難にこなし、問題を起こさないように気配りをし、上からの評価をよくすること。
さらにまた、
「組合に入っていても何のメリットもないよ。組合費を払うだけ損だ。」
と言う人も増えていた。
かくて脱退者は増える。
文部官僚や政府は喜ばしいことだろう。
組合も問題をかかえている。
教組は、現場に徹して、市民と共同で、教育研究と実践創造に全力を挙げるべきだ。
政府の偏見と妨害を吹き飛ばすのは、現場での実践しかない。