心に残る子どもたち (2)


            二つの学級通信


その年、ぼくの発行していた学級通信は「ていてつ」というタイトルでした。
学級通信の名前は、毎年変えていて、
「またさぶろう」というタイトルもあったし「峠の茶屋」という年もありました。
「ていてつ」は蹄鉄、小熊秀雄の詩「蹄鉄」にちなんで付けた名前です。
ぼくの発行する学級通信は、子どもたちの書いている生活ノートと密接につながっていました。
生活ノートは一種の日記ですが、毎週子どもたちはそれをぼくに提出し、
ぼくはそれを読んで、赤ペンで返事を書いたりしていました。
ぼくの学級通信は、そのなかから感想や意見を見つけ出して、よく題材にしました。
クラスの中に起こるいろんな問題を、
どのように考え、どのように解決していったらいいか、
そのための材料提供に役に立つように編集していました。
新聞などに掲載されていた社会記事や人物記事を紹介することもありましたし、
ぼくの意見も率直に書きました。


他の人の感想や意見がそこに掲載されていますから、
学級通信を読んだ子どもたちは、それについて考えます。
そして意見や感想を生活ノートに書きます。
ぼくはそれを拾い上げてまた学級通信に載せます。
こうして学級通信が、討議の場になりました。
クラスにいじめや対立、差別が起こると、それを生活ノートで掘り起こし、
学級通信で公開討論をし、ふたたび生活ノートへもどして考えを深めさせます。
作文もふんだんに掲載しましたから、一見文集かと思えるようなページ数で、
印刷製本に時間がかかりましたが、翌日子どもたちがむさぼり読むのを想像すると楽しいものでした。
一年で20数冊から50冊ほど発行しました。


二学期のある日、終りの学級活動に教室へ行くと、
教室はシーンとしていて、みんな熱心に「ていてつ」を読んでいます。
ぼくはうれしくなりました。
前から三番目に座っていた中谷君がいたずらっぽく、にやりと笑いました。
どうしたの?
何かあるな、と思ったぼくは、彼らの読んでいる「ていてつ」に目を注ぎました。
あれっ、「おうとつ」? 
表紙のタイトルは「ていてつ」ではなく「おうとつ」。
何、これ? 
教室に笑い声が起こりました。
「ぼくらがつくった」、と中谷君の目で笑いながら言いました。
中谷君を中心に、男子で作った「凹凸」、
「ていてつ」に対抗する生徒の学級通信でした。
10ページの「おうとつ」創刊号には、ぼくの丹念な似顔絵も載っています。
中谷君は絵やイラストが得意で、後に工芸高校に進学してその道に進んでいきましたが、
その才能を活かした編集は見事なものでした。


それから「ていてつ」と「おうとつ」は、学年末まで発行を競いあいました。
愛読という点では、「おうとつ」が勝っていました。
「おうとつ」の人気は、ユーモアあふれるインタビュー記事と、
中谷君の似顔絵シリーズ、そしていたずらっけのあふれる記事内容にありました。


まじめな内容の「ていてつ」と
ユーモアの「おうとつ」、
二つの学級通信が子どもたちのなかに浸透した一年でした。
子どもの中から湧いてくる創造性、それにどれだけ出会えるか、
それをどれだけ引き出し得るか、
学級担任のやりがいです。