国会論戦とヤジ

国会論戦を聴こうとラジオをつけたら、相変わらず盛んなヤジだ。
発言している人の言葉をけなし、罵倒し、発言の意欲をそごう、発言を封じようと、蛮声を張り上げている。
下品で粗野な、どなり声。
ヤジを発している連中はほとんどまともに聴いていないのだろう。
こちら視聴者・国民は、発言している議員の意見を聴こうと集中するが、
ヤジが耳に飛び込んできて、ききづらくてしかたがない。
ヤジを飛ばしている連中も、ヤジを野放しにしている連中も、ヤジを戦術のひとつと考えている政党幹部も、それが国民の聴く権利を侵害しているとは思いもしないのだろう。
これが国会議員。ああ、なんともかんとも、議員の品格も資格も、くそもない。


だれかが新聞に書いていたなあ。国会議員と会話をしたら、相手はこちらの意見にまともに応えず、自分の主張をとうとうと述べる、とうとうと述べることではぐらかす、まともに人の話を聞こうとしない連中だと。
権力を持っていると錯覚している人間のさが(性)かもしれない。
自分の意見はいかにも正当だとよそおって主張するが、
反対意見、反対党の議論は踏みにじろうとする。
ヤジ連中は、相手に打撃を与えることに専念し、相手を知ろう、相手の言葉を聞こうとする民主主義の基本もわきまえていない。
論戦の審判は国民なのだ。
審判である国民が聴いていることを無視した議員のヤジ台風。
審判に議論を聞こえないようにし、ヤジを国民に聞かせて、反対勢力の勢いをアピールするつもりか、
そりゃあ、筋違いというものだ。
テレビはひどいヤジを発する議員を大映ししてはどうか。


日本の文化レベルかな。
週刊誌、あれも罵倒文化の傾向が強い。
記事の大部分は、誰かを槍玉に挙げて、こきおろす。
書いている人物は、審判員のつもりでいるらしい。
筆者は真実を見通しているかのごとく、
論評は正義まちがいなしかのごとく、
刺激的な罵詈雑言で注目を集め、売らんかなと宣伝する。
金もうけ、金もうけ。


悪口雑言を仕事にしていると、知性や品格、人柄もそうなっていく。
受容性より、攻撃性が強くなっていく。
国会議員よ、野次をやめよ。
のべつ幕なしの野次をやめてくれ。
反対党であろうが、反対意見であろうが、
互いに真摯に耳を傾けることから、真実が浮かび上がってくる。
どうあるべきか、考える国民を育てる。
国民が判断する。
人の意見に耳を傾けることの出来ない人間は、議員失格。