星野道夫写真展 & 白クマとイヌイットアート展


安曇野の東部、池田町の丘に町立美術館がある。
美術館からの眺めは、まさに絶景。
高い木立が集落を取り巻き、黄金色の田園は稲刈りも近い安曇野の、
真正面に有明山、その背後に北アルプスが波打っている。
池田町立美術館はクラフトパークの中にある、これはまた町立にしてはあまりにりっぱだ。
8月から開催中の星野道夫写真展を観て来た。
道夫は、96年にカムチャツカでヒグマに襲われて亡くなった。
展覧会の説明では、「襲われた」ではなく「ヒグマの事故」と書かれている。
対象に密着して撮影してきた星野だったから、「事故」と言わずにおれない原因があったのだろう。
この土日は、星野道夫の奥さんのトークと、「ガイアシンフォニー 第三番」が上映される。


立ち上がった身長は3メートルはあろうか、
白クマの剥製があった。
北極グマの大きいのは800キロにもなるそうだ。
イヌイットに畏敬され畏怖されてきたこのクマも、
人間のもたらした環境破壊で、滅び行く動物、絶滅危惧種に登録されている。


イヌイットアート、
白クマを小さな石に彫刻したもの、
布で作ったタペストリーなど、
温かいね、
素朴だね、
彫る人の心がこもっているね、
クマやアザラシの彫刻に。
アートをつくろうとしてつくったのではないアートだね。
現代の「芸術家」は、芸術作品をつくろうとする。
でも、イヌイットには「芸術家」はいないね。
厳しい大自然の中で、生活者が、
命あるものを石に彫って、命を生んだんだね。
現代文明にさらされたイヌイットは、後にカトリックの信者になったけれど、
もともとイヌイットは、すべてのものに霊魂が宿っていると信じていた。


イヌイット」という言葉は、
「我ら人間」という意味であるそうだ。
エスキモーという呼び名は彼ら自身の付けた名ではなく、
インディアンの言葉で『生肉を食べる奴ら』という意味だった。」
と説明にある。
「インディアン」と書いているが、この語も当事者の言葉ではない。
ここは、「ネイティブ アメリカン」「ネイティブ カナディアン」だ。



星野が小学生だったとき、
「浅き川も深く渡れ」
と文集に書いたという。
学生時代からイヌイットに魅せられて、アラスカに生きた星野はこんな言葉を残した。


 「『風こそは信じがたいほど
やわらかい真の化石だ』と誰かが言ったのを覚えている。
私たちをとりまく大気は、
太古の昔からの無数の生き物たちが吐く息を含んでいるのだ。」


まど・みちおが、うたっていたではないか。


    空気

  ぼくの 胸の中に
  いま 入ってきたのは
  いままで ママの胸の中にいた空気
  そしてぼくが いま吐いた空気は
  もう パパの胸の中に 入っていく

  同じ家に 住んでおれば
  いや 同じ国に住んでおれば
  いやいや 同じ地球に住んでおれば
  いつかは
  同じ空気が 入れかわるのだ
  ありとあらゆる 生き物の胸の中を

  きのう 庭のアリの胸の中にいた空気が
  いま 妹の胸の中に 入っていく
  空気はびっくりぎょうてんしているか?
  なんの 同じ空気が ついこの間は
  南氷洋
  クジラの胸の中に いたのだ

  5月
  ぼくの心が いま
  すきとおりそうに 清清(すがすが)しいのは
  見渡す青葉たちの 吐く空気が
  ぼくらに入り
  ぼくらを内側から
  緑にそめあげてくれているのだ

  一つの体を めぐる
  血の せせらぎのように
  胸から 胸へ
  一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!
  それは うたっているのか
  忘れないで 忘れないで‥‥と
  すべての生き物が兄弟であることを‥‥と


土もそうなんだな。
太古からのあらゆる生き物の体が積もり積もったもの。
昨日も今日も、土に草の種が落ち、作物の体が横たわり、草や木が朽ちていく。
虫たちが生きて死んで土に返っていく。


星野の言葉。

 「寒さが人の気持ちを暖かくする。
遠く離れていることが、
人と人の心を近づけるのだ。」