テレビに、尾崎の歌が流れた。尾崎が亡くなって時を経ても、曲が流れると胸に熱いものが湧く。30数年も前、加美中学校の男子生徒が、「セン、これ聴いてみ」と言って、ボロの「大阪で生まれた女」と、尾崎豊のCDを貸してくれた。その日、家で聴いた歌は、悲しみと怒りの絶叫だった。
それから10数年後、ぼくは中国・武漢大学の日本語教師として赴任した。日本を発つ前、ドラマ「北の国から」などのビデオや音楽のCDを教材として、何箱もの段ボールに詰め、別便で大学へ送った。授業に使うCDラジカセは武漢の街で買った。
ぼくの受け持ったのは、二回生、三回生、四回生と、大学院生の日本語科、計八十人余りの学生の授業だった。かなりハードだが、学生たちの真剣さに励まされた。
日本から持ってきたCDの中に、長渕剛のCD「静かなるアフガン」があった。このCDは、日本を発つとき、加美中学の卒業生、武田晃太郎君が贈ってくれたものだった。彼はこう言った。
「9.11テロのあとに創られた曲です。ぼくも聴きに行ったライブコンサートのファイナルで歌われ、感動を呼んだ曲です。」
長渕剛は語っていた。
「ぼくは三人の子を持つ父親で、アフガンやカンボジアの地雷で、足を吹っ飛ばされて、義足をほしがっている子どもたちの無表情な目がテレビで流されると、そんな眼をした少年たちが、近所の公演で遊んでいる子どもたちにリンクしてしまう。日本にも戦争はある。虐待や殺人やいろいろある。だがいつのまにか他人事になって危機感もない。そんな情況の日本にあってこの曲を作った。」
ぼくはラジカセとCDをもって、授業に行った。まず長渕剛の資料を朗読すると、胸が詰まって涙が出た。学生たちは、それを見逃さなかった。曲が流れると、学生たちの表情が変わっていった。彼らは感想文を書いた。
「この歌にあるのは祈りです。戦争で亡くなる人は毎日います。悲しみは続いています。どうしたら世界は平和になるのか。人間の歴史はどうしても戦争から抜け出ることができない。人間の作った武器で人間を破滅させる。悲しいことです。人間の持つ陰湿な心が根本的な問題です。この世界に必要なのは愛です。」
「耳で聞くというより、心で聴きました。静かなアフガンの大地、いつの日か人類に、人が人を殺すような残酷なことが起こらない時が来るように、そんな希望を感じます。」
倉本聰のドラマ「北の国から」も、授業で使った。大学の中に視聴覚室があり、日本製の機器があった。学生たちは映像を食い入るように見た。吹雪の中、若い二人は避難した小屋の中で抱擁する。その時に流れたのが尾崎豊の「I love you」だった。瞬間、教室の空気がぴんと張り詰めた。尾崎豊の歌は、中国の学生たちの心にも響いている。
数年後、ぼくは安曇野に移住し、通信制高校生徒の学びを支援した。生徒たちは自分の来られる時に学校に来て、自由にレポートに取り組み、ぼくはそれをサポートする。生徒のなかにほとんどしゃべらない子がいた。その生徒と向かい合ってレポート学習を支援していたとき、「自分はロックンロールのストリートミュージシャンをしている」、とぽつりと言った。ときどき大阪や東京へ出かけて、繁華街の通りでミュージシャンとなり、表現活動をやっているのだと。ぼくはその生徒に尾崎豊のことを話した。普段無口で、無表情な彼は途端に思いを語りだした。
「尾崎豊が好きです。『I love you』です」。どうにもならない社会状況のなかで、尾崎の歌が再び受け入れられてきているのだと思います。怒りと悲しみの叫びが。」