命とは何?

伊那谷南アルプスの麓に、分杭峠というところがあり、
そこは「ゼロ磁場」で、気が充満している「気場」だと言われており、
家内の入会している太極拳サークルが分杭峠行きを企画して、日曜日、家内は1日出かけていった。
分杭峠中央構造線という大断層の上にあり、断層にゼロ磁場がある。
中国湖北省蓮花山のゼロ磁場を発見した気功師、張志祥氏により、この分杭峠のゼロ磁場が発見された。


太極拳は、誰もが持っている生体エネルギー「気」を使う健康法として評価されている。
中国では、医者にも薬にも見放された重病人が最後に頼るのが太極拳で、
心とからだを芯から癒すという。


その日、偶然視たTV・NHKの「心の時代」が、帯津良一医師の話だった。
タイトルは「いのちの旅路」。
命とはなんだろう、
命はいったいどこから来たのだろう、
命と死の関係はどうなっているのだろう、
帯津医師は、この根源の問いを追究している。
命と死の問いを考えていくなかにこそ真の医療があるのではないか。


初めは西洋医学一辺倒で、手術によってガン病巣を取り除こうと、その技術を高めていくことに没頭した。
しかしそれだけでは、治癒はできない。
中国医学の研究にはいり、中国にも出かけていった。
西洋医学と、「つながりの医学」である中国医学のドッキング、その実践に入る。
それでもあらゆる面からの治療を考えたとき、充分ではない。
足りないものがある。
心の存在、魂の存在、それをどう考えていくか。
心理療法もやってみた。
しかし、心の持ち方を追い求めても限界がある。
いったい命とは何なんだ。


帯津医師のいのちの旅。
中国医学は「場の医学」だという論に出会う。
気場、命の場、そこがエネルギーをもっており、
そのエネルギーを回復すること。
私という人間、それは閉鎖された物体ではない。
外とつながり、宇宙につながっている存在だ。
宇宙の命が私に宿っており、
私の命が宇宙にまで広がっている。
命の場のエネルギーを高めていく、
それが養生ではないか。
治療、癒し、養生、あらゆる面から命の場のエネルギーを高めていく。
患者も医療関係者もみんな同じ、対等で一体の関係であり、
どちらが治療者かわからない、互いに高めあっていく関係である。
互いに高めあう、そこに祈りがある。
命は循環している。
死も通過点に過ぎない。
共有された命が死を通過点にして、通り過ぎていく。


帯津医師は、自分の病院「帯津三敬病院」を作り、
病院内に気功、太極拳の道場を設置した。
「21世紀養生塾」をつくった。
帯津院長先頭に、気功や太極拳で、患者たちが命の場のエネルギーを高めている。


帯津医師は、中国へ行ったときに出会った中国人の医師、辛育令のことを語っていた。
患者は自分の分身に思え、
道行く人も自分の分身に見えてきたと語った医師はそのとき74歳、
自分もそう思えるか、そう思えるようになりたい、
それは一瞬にしてそう思えるときがくるのではないかと、
帯津医師は笑いながら話していた。


夕方、友人とともに家内は帰ってきた。
分杭峠の、「気場」の体験をもって。