複雑多様な「気」



近くに骨董屋がある。店の外に古道具が雑然と置いてあり、雨ざらしだ。
軒先に置かれた古ダンスがあった。
軒の下だが、「気」になる。
「これ、大丈夫かね。」
と言ったら、
何が「気」に入らなかったのか、店のオヤジが怒り出した。
「帰れえ。」
こちらの態度が「気」にさわったらしい。
商売をしていて、こんなに「気」が短かったらどうするんや、
と、今度はこちらの「気」が悪くなった。
もうこの店に行く「気」がしない。


人間はどうして二本足で歩くようになったか、
今西錦司が、「その気になったから」と言ったというのは、事実かどうか知らないが、いかにも今西錦司らしいと思う。
森からサバンナにときどき出てくる類人猿がいた。
サバンナでは、外敵に「気」をつけなければならない。
二本足で立つと、遠くまで見わたせる。
だんだんとサバンナへ出てくる機会が増え、
長い年月が過ぎ去り、
サバンナで暮らしてみようとなり、
やがて未知の世界へ旅立つ「気」になり、。
「その気」になった類人猿が人類の祖先になったのか。


「気」というのはいったい何だろう。
「気持ち」「気分」「気性」。
広辞苑で「気」を引く。
一、天地間を満たし、宇宙を構成する基本と考えられるもの、またその動き。
二、生命の原動力となる勢い。活力の源。
三、心の動き・状態・働きを包括的に表す語。心のどの面に重点を置くかはさまざま。
とあった。


太極拳の気功法で、手をかざして「気」を感じる練習をしたことがあった。
新緑のケヤキの下や桜の下に行って、手をかざす。
ツツジの花の上に両手のひらを近づける。
気を感じ取ることができるようになれば、樹や花によって感じる気が違うとベテランは言う。
気を感じると言われれば、なんだかそのように、手のひらがびりびりするようでもある。
自然界には、「気」というエネルギーが働いているのだろう。


人間の中にも、「気」というエネルギーが働いている。
自分の中の「気」が変化すると、精神や身体に影響を与える。
陽気になったり陰気になったり、元気になったり無気力になったり、
優しくなったり意地悪になったり、
希望を持ったり絶望したり、
心は千変万化だ。
認識や知識や思考が「気」に影響する。
そして、現代社会は「うつ」が増加している。
そこで長い伝統のある漢方医学では、陽性の気を涵養して心身をいやそうとする。
心の中に、どのような気が働くか、
その多様さは、人間の複雑さでもある。
脳科学者なら人間の発達した脳の働きから考えるだろう。


人間の複雑さを「気」という語を使った慣用句が示している。
この言葉の豊かさは人間の心の豊かさでもあるが、同時に変幻極まりない、制御しきれない人間の心の難しさを表している。


気がつく       気がきく     気が合う
気がめいる      気が沈む     気が散る
気がくるう      気が多い     気が小さい
気が大きい      気がいい     気が向く
気が強い       気が弱い     気がせく
気が立つ       気が長い     気が短い
気が遠くなる     気が早い     気が重い
気が軽い       気がゆるむ    気がとがめる
気が知れない     気がそがれる   気が進まない
気が楽になる     気が休まる    気が改まる
気がない       気がある     気が張る
気が乗る       気が晴れる    気がまぎれる
気が休まる      気がもめる    気が若い
気がふさぐ      気に病む     気に入る
気になる       気にする     気にかかる
気にかける      気を回す     気を吐く
気を引く       気を落とす    気を入れる
気をそそる      気を取り直す   気を悪くする
気を病む       気を許す     気を持たす
気を紛らわす     気をよくする   気を静める
気をゆるめる     気をもむ     気まずくなる
気張る       気負う      気まま     気さく
気落ち       気がかり     気がね     気合