2学期に向けて、新任の先生へ


       学級集団は動く  <トラブルよ、やってこい>


夏休みも残り少なくなり、いよいよ2学期がやってくる。
先生たちは、この夏休みにエネルギーを蓄積しただろうか。
戦後の日本には、民間の教育研究会がほうはいと立ち上がり、夏の合宿には全国からはせ参じる教師たちの熱気が渦まいていた。
夏休み前に発行された日本教職員組合の「教育新聞」には、各地で行なわれる合宿教育研究会の一覧表が特集され、それを見ながら参加したいところを探すのも楽しみなものだった。
教科指導の研究会、生活指導の研究会、作文の会の研究会、同和教育、外国人教育、障害児教育、演劇教育、カウンセリング、教育キャンプ、野外活動、合唱、民舞‥‥、全国津津浦浦で開かれるあまたの研究会が紙面を埋め尽くしていた。
そしてまた教師たちは、自分を高めるための旅行や登山、体験活動を行なったり、
クラスの子どもたちとの自由な活動を白い大きなキャンバスに絵を描くように行なったりしたものだった。
ぼくは、登山部の夏の合宿を近畿から中部の山々で行い、学生時代の仲間とヨーロッパからインドまでのシルクロードの旅を、砂漠地帯の野宿を交えて行ないながら、コース途中の小学校を訪問したのは60年代だった。
実践家たちは、こうして蓄積したエネルギーを、2学期からの自分の実践に活かした。
全国各地で教育創造に苦闘している教師たちと親しくなり、
その実践を聴きながら、自分のなかに湧いてくるものを感じる日々、
クーラーのない教室で、汗をたらしながら語り合う日々。
1990年代に入ってから、それら民間教育研究会の数は激減し、参加者も少なくなっていった。
最近は、夏休みも「先生にとっては夏休みではないから」と、管理的に学校に縛られているケースもあると聞く。


夏休みで蓄えたもの、学んだこと、子どももたくましくなれば、教師もたくましくなる。
そして待ち受ける2学期、
2学期に入ると、クラスに変化が起こることを覚悟しておかなければならない。
それは予断を許さない。
まずは基本的な考え方だが、
クラスに動乱が起こるかもしれないが、「起こることはよくない、起こらないクラスはよいクラス」という評価意識は捨てることだ。
トラブル、問題を避けようとしても起こるものは起こる。
むしろ問題が起こることを歓迎するくらいの気持ちを持つことだ。
問題が起こればそれを学びの場にすることができる。
それをのり越えていくことでクラスの生徒たちは大きく成長する。
かつてぼくは、1年間の学級づくりの計画のなかに、あえて問題の発生を予測し、場合によっては隠れた問題をクラスのなかに引き上げてオープンにし、子どもたちを揺さぶる動乱にしていった。
トラブル、問題が起こったとき、「指導力がないからだ」と自ら落ち込んで無能無策にならない、
あるいは問題から逃げ、表ざたにならないように隠したりしない。
目の前に現れたテーマにチャレンジしていくことによって、教師の器は一回りも二回りも大きくなる。
子どもたちはたくましくなる。


夏休みが終わると、生徒個人に思いがけない変化も見られる。
それは、生徒がどんな夏休みを送ったか、どんな体験をしたかによって起こってくる。
だから夏休みの間にやっておくべきことがある。
気になっていた子が、夏休みをどのように送っているか、
1学期、あの子は、家庭に困難な課題をもっていた。
あの子は、友だち関係で崩れる危険を予感させた。
あの子は、勉強が不振で、つまずきかけていた。
あの子は、遊びに流されていた。
そういう気になる生徒との接触を夏休みの間にとっておく、
積極的に教師との関係を築く実践を行なう、
心を込めた取り組みができれば2学期に必ずそれは生きてくる。
夏休みだからこそできる個別の取り組み、
学校で、学校の外で、家庭訪問で、その子にとって最もいいと思われる方法で、
信頼関係をつくる。
夏休みに行なわれる学年や学校の行事も最大に利用する。
かつてのぼくの体験でも、林間学舎や臨海学舎、登山、水泳指導、部活動、
そこでの実践をきっかけにしてクラスの生徒たちの仲がぐんとよくなり、
生徒と教師との信頼関係が生まれ、2学期のクラスが実に活動的になっていったケースもあった。


2学期の始業の日には、子どもたちを教室に迎えて観察する。
「みんな、どうだった? 元気だった?」
「何がよかった?」
「困ったこと、いやだったことあった?」
「何に感動した?」
どんな反応が返ってくるかな。
交友関係はどうだったろうか。
毎日、どんな生活をおくっていただろうか。
生徒の表情、会話、態度、髪、服装、
提出物、宿題などの内容、
どこかからその子の夏が現れてくる。
どことなく落ち着きがなく、荒れた感じのする生徒。
表情が固く、沈んだ感じの子。
たくましく、陽気にふるまう子。
プラス面で、マイナス面で、
2学期の学級集団に影響を与える動きがそのなかから生まれてくる。


2学期に向けて心構えをもち、構想、実践計画を考えておこう。
かならずやってくるだろう変化や動乱にむけて、
集団が動き出すときのために。
クラスを崩す方向ではなく、クラスを前進させていく動きにするために。


どんなトラブルが起こるだろうか。
教師への反抗、生徒間の対立、けんか、仲間はずれ、いじめ、不登校‥‥。
学校に慣れ、教師にも慣れて、指導が入りにくくなることもある。
子どもたちが烏合の衆のように、統制が取れなくなることも起こり得る。
逆に、教師と生徒との関係を深める実践を積んできた場合は、指導が効果的に入るようになる。


2学期は、学級集団が生徒たちの自発性で、自主的に動き始めるように指導していくときだ。
2学期には、運動会(体育大会)、文化祭、遠足(校外学習)などの行事がある。
これを学級の前進に活かす。
クラスのみんなが理解しあい、仲良くなり、助け合い、協力が進む、
活発に学習活動、学級活動に参加するようになる、
それを目標にする。
起こってくるトラブルや困難な状況を、むしろ学級集団に役立つものとして大切にする。
何も起こらないクラスよりも、起こるクラスのほうが、チャンスをつかむことができる。
管理的、権力的に押さえ込んでいるクラスでは、トラブルは起こりにくい。
だが、それが秩序のあるよいクラスだとは言えない。
それは逆に学級集団が熟成していくチャンスを得ることができないことでもある。


動乱よ、やってこい。
その気概で、2学期を迎えよう。