終戦から63年、お盆

居住区の自治会に「ボランティア会」というのがあり、お誘いを受けて行った。
夕方から公民館のある公園の草刈りをして、そのあとに「暑気払い」という懇親会があった。
15、6人の高齢者が、草刈り機や鎌で草を刈り、
終わって公民館のプレハブ別館に移ってビールでのどをうるおした。


「これ、何かわかるかい?」
集まっている人たちは、みんなこの地に生まれこの地で育ってきた。
新参者は私が一人。
だから、こういう問いも来る。
隣から手渡されたパックには、佃煮風の粒粒が入っている。
「なに? はちのこ?」
「いや、はちのこではないね。これは、蚕(かいこ)のさなぎだね。」
養蚕が盛んだったころ、蚕が繭(まゆ)を作ると、まゆのなかの蚕のさなぎは人間の食べ物になった。
「昔は、これが蛋白源だったね。」
「じゃあ、これはどこでつくっているんですか。」
「佃煮を作るために、蚕を飼ってるじゃないの。」
蚕のさなぎは、中指の爪ほどの大きさで、こんがり焦げ茶に煮つめられている。
食べてみた。すこし変わった味がするが、おいしい。
10粒ほど、いただいた。
昔はこのあたりはみんな蚕を飼っていた、今は1軒もないと、会長がおっしゃる。
「これは、わかるかい?」
今度は、佃煮に脚が生えている。
「ああ、これはいなごです。」
いなごは、食べたこともある。
佃煮になると、そのものの味のうえに、どれも共通の味が加わる。
肉を焼き、ホタテやイカを焼き、みんなよく食べ、よく飲んだ。
話は、農業談義になっていった。
わたしが一人いることで、農業談義も花が咲く。
「カボチャ、キュウリ、ナスも、一番花をとらないといけないね。」
「一回ナスをとれば、追肥をしてやり、つぎにまた取れば、追肥を施してやるのがいいね。」
安曇野はほんとうにいいとこだで、と話す会長さんの言葉には郷土への愛情がほっこりこもっている。
草刈りをした公園で、14日の夜、盆踊りが行なわれた。
15日、「終戦記念日
15年戦争が終わって今年で63年。
1945年に作られた歌。「昭和万葉集」から四首。


    危ぶみいふ 人等うべなへず 米麦の つきなむ秋に 子を生まむとす 
                      熊崎花子


<「米麦が尽きてしまうこの秋に、あなたは子どもを生むのですか」と危ぶんで人々は私に言うけれど、私はその忠告にうなずくことはできない。」
作者は、きっぱりとそう詠んだ。
私のお腹に宿った命、なんとしても私はその命を育んでいくという母の決意がこめられている。
生まれた赤ちゃんは、今は62歳になっているはず。>


    かかる世に 生れむ吾子はも あはれなれ 雪の深夜に 胎動おぼゆ
                      若林春子


<「このような世の中に生まれてくるわが子、ああ、健気にもこの子の命は育っています。雪の降る深夜、私はお腹に胎動を感じています。」
この子も、生きておられるならば今年62歳。>


    ざふすゐで がまんしましょと ままごとを 遊べる児らの 母なるが言へり
                      尾沢清英


<「雑炊でがまんしましょう、とままごと遊びしている子どもたちの母役になっている子が言っています。」
子どもたちは、家の暮らしをそのままに、お母さんの言葉を遊びに反映させている。>



    糠八分 くづ米二分の 粉をまるめ 焼きし団子を うましと子等食ふ
                      洲合 充


<「ぬかを8分、くず米を2分の粉をまるめて焼いた団子、それでも子どもたちはおいしいと言って食べている。」
食べ物のなかった時代、乏しきをわかちあって、家族は生き延びていった。この子らも健在なれば、今は高齢になっている。>