子どもたちは怪談が好き(3)


        第2話 大峰山の怪


大台ケ原という山があります。
原生林におおわれた紀伊山地の山で、ドライブウェイができるまでは、秘境と呼ばれていました。
ぼくが登ったのは、ドライブウェイができる前の、11月でした。


大台ケ原までの登山道はこの世のものとは思えないほどの美しい紅葉のトンネルで、紅と黄の葉を通して降り注ぐ日の光は人間まで染めていくようです。
頂上はたいへん広く、森の間に草原があり、川が流れ、切れ落ちる大絶壁がありました。
最高峰は日出ヶ岳という山です。
ぼくら3人は、ひとりひっそりと暮らしている小屋番のいる山の家で一泊をして、翌日大峰山山上ヶ岳を目指しました。
朝の山は寒く、薄氷が張っていました。
大台ケ原山と大峰山とは、深くて広い谷をはさんで東と西にそびえています。
その間に奈良から和歌山の海辺へ山を越えていく昔からの街道があり、山を越えるところが伯母峰峠と名づけられているところでした。
大台ケ原から長い尾根道を歩き、伯母峰峠に出ると、ぼくらはそこから大峰山脈から下りてくる一つの沢に分け入りました。
小さな沢でした。
このあたりは、「一本たたら」と呼ばれる妖怪がすむと言われているところです。
それが「一本たたら」の伝説です。
昔、「12月20日に伯母峰を越すな、越せば一本たたらに生き血を吸われる」と里人に恐れられていました。
「一本たたら」は、背中に笹をはやした大きなイノシシの仮身で、1度退治されたのですが、そのあと、亡霊となって伯母峰のあたりに出没したそうです。


大峰の沢道は、昔は人が入った形跡がありましたが、そのころは人も通らず、草がぼうぼうと谷沿いに生えて廃道になっています。
なんだか「一本たたら」が出てきそうな感じの、不気味な谷です。
3時が過ぎ、日の暮れるのも早い季節でしたから、沢のなかでテントを張ることにしました。
ちょろちょろ水が、テントの横を流れています。
ぼくらは飯ごうでご飯を焚き、夕飯を済ませると、明日の朝は、早く出発できるようにと、朝食用にもう1度飯ごうでご飯を炊きました。
炊き上がった飯ごうは、ふたのほうを下にひっくり返し、テントの外に置きました。
飯ごうをひっくり返すというのは、中のご飯がおいしくむれるようにするためです。
そしてみんなのプラスチックの食器を谷川の水で洗い、まとめて飯ごうの横に並べておきました。
明日はこれで、起きたらすぐに食事ができ、出発できるぞ、
そうして夜8時ごろにはテントの中で寝袋に入りました。
月が出ているようで、外がすこし月明かりです。


翌朝、眼を覚ましたぼくらは、テントの外に置いた飯ごうのご飯を食べようと思い、
見ると、飯ごうがない。
飯ごうがないぞ、
えっ? どうした?
テントの外に置いたはずの飯ごうがない。
食器を見ました。
わあ、食器に穴があいとるぞ、
ありゃあ、でっかい穴があいてる、
どうしたんや。
プラスチックの食器のどまんなかに、ぽっかりと穴が開けられているのです。
3人は、手分けして沢の上流から下流にかけて調べました。
足跡はないか、人が通った形跡がないか、
動物の痕跡は?
しかし、それらしい跡がない。
こつぜんと飯ごうは消えてしまった。
そして食器は割られた。
だれに?


キツネかクマか、あるいはサルか。
「飯ごうを逆さに置いたから、口でくわえることはできないで。」
「飯ごうの取っ手は下になるからなあ。」
「サルだったら、取っ手を握れば、持っていけるよ。」
「じゃあ、この食器の穴は何なん?」
「こんな真ん中をばりっと開けるなんて、そうとう力がいるよ。」
「動物が、こんな食器をかんで穴を開けるかな。」
「人間がこんな見知らぬ沢に入ってくることは考えられないしなあ。」
「人間でも、食器に穴をあけることはできないよ。」
「夜中だし、それは無理や。」
「一本たたらかな。」
「かもしれないで。」
「しかし、それは伝説だしね。不思議だあ。」


奇怪なできごと、
1時間ほど、辺りを捜査しました。
しかし、証拠になるものはなし。
どう考えても、腑に落ちない。
わけの分からない状態のまま、出発せざるを得ませんでした。
樹林地帯の中、沢から尾根への斜面にとりつき、道なき道をはいあがっていく。
枝尾根の上にでてさらに登っていくと、大峰山の大普賢岳という山にぽっかりと出ました。
そして山上ヶ岳を通過して、麓の村、洞川に下山したのです。
この謎は、いまだに解くことができない。
謎は今も謎のままです。