「どんな革命でも、どんな運動でも、しょせん個の孤独の集まりだと思うんです。」
窪島誠一郎は、父・水上勉との対談でこう語っていた。
実の親は別にいる、それはだれだろう、
しんしんと心に沈む孤独を生きてきた誠一郎だから、
このあたりの実感がある。
個の孤独の集まりが、あるときは大きな合唱になって聞こえてくるし、
ときには革命になったりもする。
そうして時代を変える大きなうねりをもたらすことはあっても、
しょせんは個の孤独の集まりなのだと。
離合集散、
時代は変遷して、
ますます孤独は深まっていく感じがする。
鉄の団結を誇った国も、
闘争に燃えた運動団体も、
栄えた企業も、
いつか衰退した。
目的のために団結する。
目的があいまいになれば、団結はたちまち崩れ去る。
目的と称するものが幻想になったとき、
団結は消滅する。
北京オリンピックが近い。
スポーツチームは、そのときのために、団結する。
勝利のために、チームワークを固める。
一定期間の結束、すなわち約束。
日本サッカーの中田は、
前回のオリンピックの後去って行った。
去っていく姿は孤独だった。
彼には、闘っているあいだも、孤独がにじみ出ていた。
その後彼は、
世界各地への孤独な旅に出た。
和気あいあいと、はみださず、仲良く同一の行動をする、
それがチームワークだと思われている。
そういうチームワークは崩れやすい。
個と個があつまる集団、
そこには個人の異なる感情、考え、感覚、行動、生活がうずまいている。
それを含んで、個の調和をはかる。
それらは時に不協和音を引き起こす。
感情がぶつかる。
意見が対立する。
異なる感覚が刺激しあう。
そういうもの、
それが当たり前。
力づくで同一にしようとするな、
1本の線に束ねようとするな。
違いの中から強さが生まれる。
多様性から粘りが生じる。
チームワークは、抱擁する。