ソロー「森の生活」 3


 ソロー「森の生活」の一節を、鶴見俊輔さんが名訳した『太鼓の音に足の合わぬ者をとがめるな。その人は、別の太鼓に聞き入っているのかもしれない』。
 では、その一節は、「森の生活」のどのような文章のなかにあるのだろうか。
 「森の生活」の終章、「結論」のところにそれがある。宮西訳では次のような一連の節である。

 「すべての人びとをして、自らの仕事に専心せしめよ。そして本然の自己たるべく努力せしめよ。
 何故に我々は、こんなにめちゃくちゃに成功を急ぎ、めちゃくちゃに事業をやるのだろうか? もし一個の人間が自分の友だちと歩調を合わせていないとすれば、それはおそらく彼が異なった鼓手の太鼓を聞いているからだろう。それがどんな調子のものであろうとも、どんなに遠く彼方のものであろうとも、彼をして自ら聞く音曲に歩調を合わせて行かしめよ。リンゴの木や、樫のように急いで肥料を施すことは、彼にとって重要事ではない。彼は自らの春を夏に変えることができようか。自ら本然的に適合する事態が未だ到来しないならば、いかなる現実をもってそれに代え得るか? 我々は幻想的な現実に難破せしめられることを望まないのだ。苦労八百して青ガラスの天界を頭上に築くべきか? たとえそれを完成しようとも、なおも我々ははるか上方の霊妙なる真の天界を、まるでガラスのものは無きが如くに、必ず凝視するであろう。」

 ソローが森に独居の家を建てたのは、一八四五年だった。そして一八五四年に「森の生活」が出版された。
 森を去ったときのことを、次のように書いている。

 「私が森を去ったのは、そこへ出かけたのと同様に、それ相当の理由があってのことだ。私はまだおそらくいくつかの人生を生きなければならないだろうから、その一つの人生のためにそれ以上の時間を割くことができなかった。いかに容易に、それと心づかずして、我々が一つの特殊な軌道へはまり込み、無事安穏な生き方に甘んじるようになるかは、驚くべきものがある。そこに住むようになってから一週間もたたぬうちに、入口から池畔へ私の足で路がついた。それをたどった頃からもう五、六年になるけれど、まだはっきり残っている。もっとも、それへ他の者たちがはまりこんだことも、その路が開けたままになっている理由ではあるまいか。大地の表面は柔らかいから、人間の足で刻印されやすい。
 心がたどる路も同じことだ。してみれば世界の街道はいかばかり古ぼけてほこりっぽいものであろう。いかばかり習慣と妥協の轍の深いものであろう! 私は一等船客の通路を通らず、むしろ世界の甲板の上に、帆柱の前に立って行きたかった。そこでは山々の中の月光がいちばんよく見えたからだった。もう私は下りようとは思わぬ。
 少なくとも私は、自分の実験によって、こういうことを学んだ。もし人間が自信を持って自らの夢の方向に進むならば、普通の時には予想されぬ好結果に直面するだろう。彼はある事柄を背後に置き去り、目に見えない境界を越えて行く。新しく普遍的な、さらに自在な法則が、自分の周りや内部に発現しはじめる。あるいは古い法則が拡大されて、もっと自由自在な意味に、自らに良きように解明されて、より高い存在秩序の奔放さで生きるようになる。自分の生活を素朴化してゆくにつれて、宇宙の法則は次第に複雑ではない相貌を呈して来、孤独は孤独ではなくなり、貧しさも貧しさではなくなり、弱さも弱さでなくなる。」