竹内浩三「五月のように」

竹内浩三は死んだ、23歳で。
姉は後に、浩三の死んだというフィリピンの高地を30年の時を隔てて訪れ、
土の中に慟哭の「弟への手紙」を埋めた。


「浩三さん、姉さんとうとう来ました。あなたの最後の地であるという比島バギオへ。
30年間この胸の奥に持ちつづけた思いを抱き、今、バギオの風の中に佇っています。
さびしがり屋のコウゾーが淋しくないように、姉さん、大林さん、中井さん、野村さんの写真を、
土に埋めます。今日からにぎやかになりますよ。」
       (「ぼくもいくさに征くのだけれど」稲泉連 中央公論新社


浩三の魂は今どこにいるだろう。
文学や音楽を愛し、恋をし、詩を書き、映画監督になることを夢見ていた浩三。
浩三は、次のような詩も作っている。



      五月のように

  なんのために
  ともかく 生きている
  ともかく


  どう生きるべきか
  それは どえらい問題だ
  それを一生考え 考えぬいてもはじまらん
  考えれば 考えるほど理屈が多くなりこまる


  こまる前に 次のことばを知ると得だ
  歓喜して生きよ ヴィヴェ・ジョアイユウ


  理屈を言う前に ヴィヴェ・ジョアイユウ
  信ずることは めでたい
  真を知りたければ信ぜよ
  そこに真はいつでもある


  弱い人よ
  ボクも人一倍弱い
  信を忘れ
  そしてかなしくなる


  信を忘れると
  自分が空中にうき上がって
  きわめてかなしい
  信じよう
  わけなしに信じよう
  わるいことをすると
  自分が一番かなしくなる
  だから
  誰でもいいことをしたがっている
  でも 弱いので
  ああ 弱いので
  ついつい わるいことをしてしまう
  すると たまらない
  まったくたまらない


  自分がかわいそうになって
  えんえんと泣いてみるが
  それもうそのような気がして
  ああ 神さん
  ひとを信じよう
  ひとを愛しよう
  そしていいことをうんとしよう

  青空のように
  五月のように
  みんなが
  みんなで
  愉快に生きよう



「ヴィヴェ・ジョアイユウ」は、「楽しげに 生きよ」というフランス語だという。
人を信じて、楽しく生きようではないか。


信を忘れる自分、信じることができない自分。
それは「疑う生き方である」ということではなかろう。
疑ってばかりいては、相手の心に入り込めない。
疑えば疑うほど、相手や対象から隔たっていく。
相手や対象に入り込まなければ、「ほんとうの心」を知ることはできない。
信頼する。
真実を見る。
そして愉快に生きよう、と浩三は思う。


人と人の心のつながり、
パタンとそこで切れてしまうことがある。
心の中に、何かが入る。
何かが入って、
人と人との回線を遮断する。
断絶した回線には、
情は流れない。


こっちの1本、
そっちの1本、
あっちの1本、
あの人との心の回線、
切れたまま、流れない回線。
信の涸渇は、寂しくむなしい。


浩三につながる回線、
どこかをさまよう彼の魂につながる信の回線、
生きて流れる情。
回線を流れる愛の情。