心のなかの冷蔵庫

水上勉は、
「ぼくの心の奥には冷えきった冷蔵庫が一つあってねえ、
どんなにぬくめても温かくはならん冷蔵庫なんや」
と、窪島誠一郎に言った。
そのことを思い起こしながら、窪島はこう書いている。


「今になって思うのは、私にも心の底に父親譲りの冷蔵庫が一つあったことである。
『自分を捨てた父』を許しても、『自分を捨てた母』は許そうとしない
いびつなエゴイズムといったらいいのだろうか。
今まで一どとして自らの手で蓋を開けたことのない、
凍てた一つの冷蔵庫が私の心にもあった。」
(「雁と雁の子」窪島誠一郎 〈平凡社〉)


今は亡き作家の水上勉は、「無言館」「信濃デッサン館」を建てた窪島誠一郎の実父である。
昭和16年の夏、
22歳だった水上は益子と貧乏アパートで同棲し、誠一郎が生まれる。
水上は当時、出版社で働き、生活は苦しく、おまけに結核を患っていた。
益子は子どもへの結核感染を恐れたのか、誠一郎が二歳の時に、隣人の貧しい靴職人であった窪島茂、はつに預けた。
そして誠一郎は窪島の実子として育てられた。
水上と益子はその後別れ、水上は別の女性と結婚する。


実の親を探す窪島が父・水上と会ったのは、30数年経った昭和52年のこと。


「戦後30余年経ってめぐりあった私たちは、手をとりあうようにして再会をよろこび、
とめどない思い出話に花を咲かせ、自分たちがどれだけ強運な絆によってむすばれた父子であったかを
確認しあ」った。
しかし、
「二人ともほとんど『母』の話を口にしない。
まるでその人の存在を忌み嫌いでもするように、
父も子も母の消息にはふれようとしないのである。
私は、こんな冷酷な父と世帯をもち、こんな冷酷な子を産んだ母は何と不幸せな女だったろうと思った。」


そうして誠一郎は、水上に対して何の異も唱えようとしない自分に愕然とする。


二人は、心の中に「冷蔵庫」を持っていると思った。
マザーテレサのような人はどうかわからないが、
自分の心を見つめれば、
あるときは、心が温かくなり、熱くなり、
あるときは、冷たくなり、寒々としたものになり、
その時、その時の心を、ある時はもてあまし、
流され、耐え、決然と向かい合い、
さまざまな対処をして生きている。


人は、人の中に、
仏の心と鬼の心を見つける。
戦場に立たされた兵士は、
戦争という状況の中で「敵」という認識の杭を打ち込まれ、
心の「鬼」、憎悪と怒りを喚起する。
愛する者を守るために、と心を鬼にして、敵でもないものを敵にする。


殺人事件、暴力事件を起こす人間も、
そのときの状態にしたがって、心の「鬼」を喚起する。


自分の中の心の「冷蔵庫」、
ある時、あることに、心がつめたくなることはある。
それを「冷蔵庫」と言いたくなる冷たさ、
水上と誠一郎は「冷蔵庫」と表現した。


そういうわが心、
だから、そこから出発する。
自分を見つめて出発する。