朝の音

遠くで何か音楽らしいものが聞こえる。
駅に近い、住宅に浸食されている田んぼの中の道。
聞こえてくる音は、少しずつ音楽らしくなってきた。
車のスピーカーから出てくる音楽だろうか。
進行方向を見通しても、車の姿はない。
それにもかかわらず音楽は聞こえてくる。変な現象だ。
音はどんどん大きくなる。
人はいないし、車はないし、職場は近くにあるがそんな音の出るようなものはないし、
いったいどこからこの音楽は聞こえてくるのか。
音に向かって進んでいくと、音楽はますます鮮明になり、
突如、ぼくの足もとから音が立ち上がってきた。
道のなかから音楽が出てくる?
ぼくの足は止まった。
左足の前1メートルほどのところに何かある。
路上に黒い小さな四角いもの。
音はそこから流れ出てくる。


携帯電話だった。
携帯電話の落し物だ。
音楽は大きな音をたてて、その小さな固形物から出てくる。
拾い上げた黒い携帯電話。
ぼくは携帯電話を持っていないから、少し苦手な代物だ。
音を止めよう。
電車の車内放送でよく耳にするマナーモード、
それを押してみた。
音楽は止まった。
ところが少し時間がたつとまた鳴り出した。
それを繰り返すこと5、6回。
持ち主の情報を詰め込んであるものだけに、
勝手に操作することもできず、
音だけはしないようにしようと、携帯電話をよく見てみたら「クリア」というのが出てきて、
それを押したら、音は完全に止まった。


それから警察に電話。
電話に出た署員は、あなたは今どこにいるのか、どこで拾得したのか、といろいろ訊く。
こちらのいる勤務場所を大声で説明すると、
それはどこなのか、近くに何があるのか、と一向にらちがあかない。
地域の状況を最もよく把握していなければならない警察がそんなことでいいのと言いたくなった。 
電話の相手は、拾得物を近くの交番に持っていってほしい、と言う。
交番までは2キロほどもある。
仕事の開始時間まであと30分ほどだ。
だがしかたがない。自転車にまたがって、持っていった。


交番には、パトカーが止まっていて、二人の警察官がいた。
いきさつを話すと、今、ここの署員がいないから、それは本署のほうへ持っていってほしいと来た。
パトカーの警察官は、ここへ立ち寄っただけなので、という。
ここからまた本署まで? そんな時間はない。
そう言うと、とりあえず名前と住所だけ書いてほしい、後から職場へ本署のものが行きますから、
ということになった。
ぼくは椅子に座って、メモを書く。
パトカーの警察官は、地図を広げて、習得場所と勤務の場所を聞くから、
その位置を地図上に探すと、なんと地図上には職場の名前はなく、空き地になっていた。
建物ができてもう2年半にもなりますよ、と言うと、
これは古い地図で、予算が無いもんで、と弁明される警察官の腰のピストルがぼくの腕の横にある。
このピストル、簡単にはとれないだろうな、とか変なことを想像する。
ぼくは一言意見を言っておこうと思った。
「以前名神高速道路の下をくぐっている道路から110番したことがあるのですが、
その位置を説明しても、分らないというんですよ。どうなっているんですかねえ。」
その位置を伝えても位置を認識しないから、何度も説明しなければならなかった体験を話した。
パトカーの隊員は、110番を受け取る部署の人は現場の人ではないので、とおっしゃる。
広範な地域を受け持つ警察は、機動性を発揮できるようには進歩してきたが、
昔のように自転車で地域を回り、住民の身の上相談までするような、地域の変化に敏感なお巡りさんはもういなくなったんだと思う。
職場に帰ったら、30分ほどして本署から警察官が二人やってきた。
にこにこ笑いながら、愛想のいい警察官だった。
書類も簡単に書いて、それで終わった。