聞こえる、聞こえない、音や声

 今日は雪が降っている。静かに雪が降り積もっている。
 雪の日は遠くの音が消える。積もればさらに音はなくなる。
 テレビドラマの声が聴き取りにくくなった。BGMの曲がやたらと我が耳に大きく響いて、音楽に重なる俳優のせりふがほとんど聞こえないときがある。ぼそぼそ低音で言うせりふは、全く聴き取れない。BGMの音量を小さくしてほしいといつも思う。ドラマの3分の1か4分の1は、せりふが聞こえなかったこともある。
 ニュースのアナウンサーの声はよく聞こえる。解説や談話の場合は、声のくぐもる人は聴き取れない。アナウンサーの声がよく聞こえるというのは、声の音域、発声のし方など、聴き取りやすいように訓練しているからだろう。
 「遠くで汽笛を聞きながら」という名曲があった。アリスが歌っていた。作詞が谷村新司、作曲が堀内孝雄だった。今では遠くの汽笛はない。SLはなくなった。SLの走っていた時代、不思議に汽笛は野を越えて遠くまで聞こえた。

    あの汽笛
    田んぼに聞こえただろう。
    もう、あばが帰るよ。
    八重蔵、泣くなよ。

 ぼくの遠い記憶に残っている児童詩だ。生活綴り方教育の本に紹介されていた、小学生のつくった詩だった。夕方、同じ時刻に汽車は汽笛を鳴らした。その音を聞いて、お母さんは田んぼの仕事を終えて、家に帰ってくる。汽笛を聞いて小学生の兄は、弟に、「もうすぐお母さんが帰ってくるよ、もう泣くなよ」と話しかけている。お腹もすいた。汽笛は、時計代わりだった。
 安曇野で、電車の警笛を遠くに聞くことがある。家からJR大糸線までは3キロか4キロはある。電車は上り下りそれぞれ1時間に1本ぐらい走っているが、この電車のレール音がときどき聞こえる。コトンコトンという、レールのつなぎ目を車輪が通過するときに発する音だ。又あるときは踏み切りの警報機の鳴る音、チンカンチンカンという音が聞こえることもある。年を取って聞こえにくくなっているぼくの耳に、こういう遠くの音がたまに聞こえるときがある。音が遠くまで届くのは、大気の状態が関係しているように思う。
 8年前まで住んでいた奈良の金剛山麓の古家では蚊に悩まされた。12月になっても、真夜中に蚊がプーンと羽音をたてて寝ているところにやってくる。静寂の闇、どこから入ってきたのか、蚊が1匹か2匹、顔に近づいてくる音がすると、熟睡していても目が覚める。蚊がやって来た最高記録は1月中旬だった。蚊の羽音がすると、電気をつけて周りを見回す。蚊は、白い壁や天井に止まっているのを発見する。こんな小さなものの小さな音も、睡眠中に聞こえた。
 聞こえる声と聞こえない声、この秋大阪と神戸に行ったとき、阪神電車阪急電車に乗った。車掌の車内放送が次に停車する駅名を告げる。その駅名が全く聴き取れない車掌の声があった。詳しいことは忘れてしまったが、阪神と阪急とで、車掌の意識が少し違うのではないかと思った。声の高低、発声のし方、発音など、乗客に聞き取りやすいように、特に高齢者に聞き取れるように、練習し、意識して発声しているかどうか、電車に揺られながらそんなことを思っていた。
 雪が降っている。野沢菜、水菜、ネギをとってきた。紙袋に入れて軒に入れた。