人間社会を崩していくもの



 14日の夜、NHKテレビの「クローズアップ現代」が「ヘイトスピーチ問題」を取り上げた。この番組でこのテーマを取り上げるのはこれで2回目になる。今回はかなりなまなましい現場の映像を報道し、この問題を掘り下げようとした。大阪市鶴橋、在日の人々がたくさん住んでいる街、若い女の子が「鶴橋大虐殺を実行しますよ」とハンドマイクで叫んでいる。関東大震災のときのような大虐殺をやるぞという殺人予告、脅迫行為だ。その面前に複数の警官がいるが、ただ立っているだけ。「殺せ」という言葉をなんのためらいもなく使い、差別をもてあそび憎悪表現をばらまく人びとが、ここ数年公然とデモを行っている。一部の特定の人たちであるにしても、こういう現象が起こってくるということは、現象をもたらす原因が日本に胚胎しているということだ。戦後、隣国の民に対する日本人の意識には、差別や憎悪感情は消滅したものと思いきや、なんということか、むしろ若い人たちに引き継がれているではないか。
 戦争は、愛国心を高揚させ、同時に戦争相手の民族、国民への差別意識があおりたてる。差別意識はかつての戦争と侵略の根底を支えた。その歴史を日本人はこっぴどく体験したはずなのに、今そのことに全く無知な人たちが増加している。それもそのはず、日本の学校教育でも日本の社会でも、日本人の血肉に刻み込まれたはずの日本の近現代史を空洞化させる動きが進行してきたのだ。
 フランスでおこったテロ事件が、新たな導火線になりかけている。イスラム教徒への憎悪、ムスリム移民への差別意識・感情が激しくなっている。それがムスリムへの攻撃を生み始めている。ムスリムへの攻撃はムスリムからの攻撃になって返ってくる。憎悪の矢は憎悪の矢となって返ってくる。攻撃は攻撃となって戻ってくる。
 ヘイトスピーチに傷ついている人たちの心の傷を想像する。傷を受けている人の心の震えをひしひしと感じる。
 申し訳ないと思う。
 差別は何物も生まない。ただ社会・人間を破壊するだけ。憎悪は何物も生まない。ただ精神の破壊をもたらすだけ。
 親は子どもに、「人の嫌がることをしてはいけないよ」と教える。どうして子どもにそう教えるのだろう。「仲良くするんだよ」と教える。どうしてそう教えるんだろう。その教えは、基本的な人間のあるべき姿、生き方につながるからだ。社会はそんなに単純なものではない。けれど親はそのことをきっぱりと子どもに教える。そこから育ちが始まる。自分を大切にし、人を大切にし、自立心が伸びる。
 単純な基本を崩した社会は根底から崩れる。
 日本人が骨身にしみて、そのことを体験してきたはずのもの、国の歩みで学んだものが崩れかけている。

 昨日の夜、学校から雪道を帰ってきた。雪が降り続いていた。周囲は田んぼ、その道で前の車が止まった。その前、その前の車も止まっていた。渋滞だ。事故があったか、何があったのか分からない。ぼくの後ろの車も止まった。どんどん後の車が止まって増えた。このまま動けなかったら、どうなるだろうかと思う。車のライト以外は、闇だった。わき道に逃げることはできなかった。この道、一本の道、それが動かない。何十台かの車は待った。雪の中、数キロの道にびっしり車列が止まって動かない。
 だいぶ時間が過ぎて、車が少しずつ動いた。前方に雪のなかでスリップして真横になった車を見た。その車の事故で道はふさがれていたのだった。どこからかパトカーが来ていた。
 いつもは車の流れている道。そこにひとつの障害物が起きた途端に、全体の流れが止まってしまった。別のルートはない。脱出方法もない。車を脇に寄せることもできない。したがって車を置いて、歩いてゆくこともできない。それは場合によっては生命の危険をもたらすことでもある。この社会のもろさ、弱点、危うさを見た。