廃材をもらって工事

庭に重機が入って、二階建ての木造家屋をつぶしている。
我が家からすぐ近く、生垣に囲まれた家で、母屋を新しく建て替えるらしい。
見ながら通り過ぎて、そのときは考えもしなかったが、しばらくしてから、
この家から廃材が出るなあ、手に入らないかな、
という思いが湧いた。
柱や梁に使っていた材木をもらえれば、これから自分で造ろうとしている工房に使える。
資源を活かし、こちらも費用が助かる、
と思ったが、解体業者はすでに動いていて、既に遅い、やっぱり無理かとそこで思考はストップした。


ところが、後ろ向きだった気分が翌日、朝になって変わった。
話してみることに何のためらいが要る? 言うだけのことじゃないか。
気持ちを白紙の状態にして、話してみよう、
そう思えた。
こういう心境の変化というか、むしろ気持ちの持ち方を逆転させるといったほうがいいか、
それは結果としてものごとを進展させることが多い。
マイナス思考が頭を占拠しているときに、そのマイナス思考を急転、プラス思考に変える、
不機嫌な気分を平静に戻す、
やる気のない気分をやる気にする、
怒りを雲散霧消させる、
他者からの働きかけなしに。
そういうことが自由自在にできたなら、いったん走り出した気分や考えの固定による弊害をずいぶん減らすことができるだろうな。


朝のランとの散歩コースをその家の方へとり、行ってみることにした。
行くと、ご主人がまだパジャマを着て、庭におられた。
大きな重機がでんと庭に座っている。
アームの先端に鉄の爪がついていて、それで木材を挟んで引き出したり、家を上から叩き壊したりする。
古材をもらえませんか、とご主人に話すと、業者は午前8時に来るから、業者に直接頼んでみてください、ということになった。


8時にまた行った。
若い男が重機の運転台に乗って、がばんがばんと動かし始めていた。
柱の木は、ぼきりと折れて、片側に積み上げられていく。
男に声をかけて頼んでみると、柱や梁を折らないで分類して取り置くのに余分の手がかかり、
工期を急いでいるから無理だと言う。
解体業者は何もかもいっしょくたに壊して、木材は焼却してしまうのだろうか。
少々材木に傷が付いてもいいから、可能な範囲で使えそうなのを20本ばかり脇に取ってほしいと押して頼むと、
やってみようということで、午後5時半にはそれをとりにきてほしいと若者は言った。


よーし、古材が手に入るぞ。
では、トラックのチャーターだ。
暁生君に1トン車を頼むと、貸してくれることになった。
人手は、孝夫君と昭君に頼む。
夕方、トラックを借りて、孝夫君と昭君の畑へ行くと彼らはビニールハウスを建てていた。
5時半に頼むぞ、と声をかけて、ぼくは先に解体現場に行って、梁や柱の活かせそうなのを選び出した。
釘やかすがいが打ち込まれたままの怪我をしそうなものばかり、2、30本取り出していたら、助っ人2人が来てくれた。
梁に墨で書いてあるのを見ると、昭和30年に建てられた家であることが分かる。
物資の潤沢ではない時代の普請だから、材はそんなに立派ではない。
それでも木材は年数を経ても充分使えそうだった。
梁材は一人では重くて持ち上がらない。
若い2人はそれらをトラックに積み込んで家まで運んでくれた。


材料はかなり傷だらけだった。
太い梁材は工房用に残し、柱と桁材を勝手口からガレージに続くひさしの張り出しに使うことにした。
釘やかすがいを釘抜きで抜いていったら、200本ほどもあった。
古材だから、切り込みやほぞの細工がしてある。
それを活かして、柱8本と桁3間の長さで、軒のひさしを張り出す工事をする。
屋根の垂木とつなぎの金具、屋根材はホームセンターで軽トラックを借りて買ってきた。


それから2、3週間ほどかけて、ひさし工事が完成した。
古材の上に板を貼り、塗料を塗ったら、実にいい感じになった。
プロの大工の仕事なみのできばえだと、自画自賛している。


梁材の古材は残してある。
これで工房を自力で建てる予定。
今、設計図をかいている。