ウォルター・ウェストンの見た信州(2)


            
ウェストンは嘉門次の案内で穂高に登るために、島島村の隣の橋場の部落に来ると、
ひどい雨になった。
天候の回復を待って、ノミの巣のような、宿の寝床にごろごろしているのも退屈になり、
彼は村の中を雨合羽を着て歩いてみた。
広い庭の一軒の家に入ってみると、三人の猟師がいた。


「ぼくはさっそく歓迎されて、この無教育の田舎人たちから、東京の大邸宅に招待されたのと変わらぬ礼儀正しいもてなしを受けた。
隣の家の入り口には、子どもの草履が吊るしてあった。
これは子どもを病気から守るまじないであると子どもたちが教えてくれた。
多くのイギリス人は、こんな迷信を笑うが、彼らも文明国イギリスの家の入り口や窓の上の横木に、
使い古した馬蹄を釘づけにして、こうしておけば幸運がめぐってくると、
固く信じこんでいるのである。」(「日本アルプスの登山と探検」)


ウェストンは穂高岳へ嘉門次と登った。
その様子を記した文章は、詳細である。
おもしろいのは、下りてくるときに出会った災難で、
まずブヨの大襲撃を受ける。
つづいて黄蜂の襲撃を受ける。
嘉門次が黄蜂の巣を足で踏んでしまったからだった。
嘉門次はものすごいぎょうそうになり、気が狂ったかのように飛び回った。
黄蜂はウェストンにも襲い掛かる。
こういうシーンはなぜかおもしろい。
他人の不幸を面白がるとは何事ぞ、ということになるが、
イギリス人のユーモアで、ウェストンもこういう体験談が読者を楽しませることが分かっている。
二人はほうほうのていで逃れて上高地明神池の嘉門次の小屋に至り、
そこから梓川を渡渉して徳本で泊まる。
そこで出会った男は、蜂に射されたところを治してやろうと、まじないをしてくれる。
それは聖なる山に入ったために、山霊の怒りに触れたのだという。
「日本未開地探検」は面白い。
鉄道がまだ敷設されていなかったころだから、島島からてくてく歩いて帰ってきた松本の町での床屋の話には笑いが止まらない。
彼は、日本の床屋にはまだ行ったことがなかった。


「ヨーロッパ式の例の床屋の標柱を入り口に立てた小さな店に入ると、
横浜から取り寄せたと思われる大きな鏡の前に腰をかけさせられた。
床屋は二週間伸び放題に伸ばしていたぼくのひげに、何の予備工作もせずいきなりかみそりを当てた。
その小さなかみそりは柄がなかった。
ぼくは石鹸と水をつけてくれというと、
彼は驚いた様子だったが、
それでも外国の流儀に合わせるつもりでか、
要求を受け入れた。
しかしその水が冷たかったので、お湯を使ってくれと要求すると、
露骨に軽蔑の色を示した。
日本にはひげの伸びない人が数百万人もいるが、
伸びる人でも薄くやわらかく、
そのため、ぼくたち西洋人は石鹸や水をつけるのがあたりまえなのに、
日本人には不必要だし、
そんなことをする人はほとんどいなかった。
床屋はぬるま湯と日本製のひどい石鹸を持ち出して仕事に取りかかった。
十五分間、ぼくは無言の苦しみのうちに文字どおり椅子にしがみついていた。
ほんとうはのたうちまわりたいくらい痛いのを我慢していたのだ。
とうとう、床屋ができばえを見ようとして手を放したすきに、ぼくは椅子の上にお金を投げて逃げ出した。
宿の縁側の片隅の暗がりで残りのひげを剃り終わり、
ようやく気を落ち着けて夕食の膳についた。
食事をすませると按摩を呼んだ。
夜になると、日本ではどこの町でも按摩の笛が聞こえる。
こうして幾日も山登りをしたあとでは、風呂の次の気持のいいものはこの按摩である。」
そして話は按摩体験になっていく。