街路樹と樹林の価値<2>


 1894年(明治27)の夏、ウォルター・ウェストンは、中部日本のアルプス地帯を北から南へ徒歩で縦断した。糸魚川から松本までは、アルプスの東麓を歩き、安曇野に入った。安曇野を通過するとき、次のような記録を残している。
 「土曜日(七月二十八日)、信州の山々に朝日が昇り、狭い平野を熱しはじめたとき、ぼくたちは元気よく松本に向かって歩いていた。南に向かって25マイルの行程である。高瀬川の広い河原にかけられた橋がこわれているのを見ると、夏から秋にかけての洪水の威力がしのばれた。それは主として西方の暗い山腹に縞模様になって残っている雪渓の低い部分が融けることによって生ずるのである。薄い白雲がベールのように日光をかげらせている中を、桑畑や、香り高い松の並木の長い道を通って進んだ。三々五々、群れをなして村の小学校へ通う子どもたちが、すすんでうやうやしいお辞儀をするのを見ると、ぼくたちはまだ文明化(ヨーロッパ化)しない日本にいるということを感じた。北穂高というにぎやかな村に着くころ、ふたたび強く日が照り始めた。この村でぼくたちは薬屋を兼業している『とうしや』という旅館に立ち寄って早昼飯を食べた。日本製ではあるが、ハントリーやパーマーの高級品を巧みに真似たビスケットが、食後のデザートにつけられた。
 正午を少し回ったころ、ぼくたちは豊科という小さな町を形づくる長い往来を歩いていた。六カ月前までは、この町は平野随一の繁華な町だったが、三月に大火が起こってすっかり焼けてしまった。六百戸のうち五百戸以上が信じられないくらいの短時間のうちに焼け落ちたが、今その灰燼の中から、不死鳥のように起ちあがろうとしているところだった。焼けた通りのはずれに涼み台と称する奇妙な台が立っている。これは松の枝で屋根をふいて日光を防いだ高い台で、夕方の涼風にひたることもできるし、付近の山々や再建している家屋の彼方にひろがる平野を見渡すこともできた。」

 これは「日本アルプスの登山と探検」の一節である。ウェストンはイギリスの宣教師で、1888年明治21年)、日本に来た。1891年から1894年にかけて彼は日本アルプスを探検し、主なピークに登っている。「薬屋を兼業している『とうしや』という旅館」というのが出てくるが、「とうしや」は今も薬店チェーンとして安曇野にも数店ある。
 ウェストンのこの豊科大火の記録を読むとすさまじい被害だ。町の人家の85パーセントが短時間で消失している。吹く風は強かったのかもしれない。車道も幹線道路もなかった時代、豊科の町の木造家屋は近接して道は狭く、火はまたたくまに広がったのだ。
 それから121年がたつ。豊科の街中には幹線道路は拡張され車道になった。新道には街路樹が一部ある。一歩住宅地に入ると狭い道の両側にひしめく家々は、昔と変わらない。
 関東大震災阪神大震災地震後の火災は、地震による家屋の倒壊が大火の原因になった。建物が倒壊して道路をふさぎ、消防車・救急車は入れず、消火水は出ず、救助は困難を極めた。
 藤井英二郎氏(千葉大学大学院教授)は、防災機能を強化するための街路樹についてこう書いている。(岩波書店「世界2月号」)
「幹線道路を安全な避難路とするうえで、熱風や火災、倒伏・破損した建物からの破片をさえぎり、倒伏する建物を支えて空間を確保し、また津波の衝撃を緩和し、引き波で支えとなりうる街路樹の機能はきわめて重要である。これらの防災機能を強化するためには、街路樹の枝葉を広げさせる、つまり樹冠を最大化することが求められる。それによって、多くの道路では車道を樹冠がおおうようになる。つまり、たとえば表参道のケヤキ街路樹や田園調布のイチョウ街路樹のように、多くの道路が緑のトンネルになるのだ。防災機能が強化されると同時に、新緑、紅葉が都市景観にうるおいをもたらし、夏は木陰を涼しく移動できる。都市環境のストレスも緩和される。
 関東大震災阪神・淡路大震災などの際には樹木が多くの命を救い、避難路を確保してくれた。災害はいつ起こるかわからない。火災や熱風、飛散する破損物から身を守り、避難路を確保するために、街路樹の樹冠拡大を急ぐ必要がある。」
 次は神戸市の実践。
 「みどりのゾーン」を指定する。市街化調整区域内の緑地を、自然環境としての希少性や防災上の重要性、レクリエーション活用の可能性、景観形成に対する重要性などにより評価した緑地の重要度に応じて、緑地の保存区域、緑地の保全区域、緑地の育成区域の3つの区域に指定し、みどりの聖域として緑地に影響を及ぼす行為について一定の行為制限を行うとともに助成制度などを活用しながら、緑に恵まれた神戸の自然を守り育てる。
 熊本県の火災予防計画には、こんな条項がある。「市街地の延焼防止や避難者の安全を確保するために、道路整備の中で街路樹の積極的な整備計画を検討する。また、垣根等の整備については、地区住民の合意を図りながら、地区計画の決定等を通じて推進する。」
 最後に、街路樹、並木が風景の美観に与える価値について書いておこう。
 東海道新幹線で岐阜から大津へ向かう途中、何度か眼にした風景がある。湖東地方であったと思う。田園地帯に一本の車道があり、そこに何の樹だろうか、並木がずっと続いている。眼が引きつけられる。こんな田舎でも並木道をつくったんだなあ、並木道をつくった人の思いを想像する。
 大陸の奥へ中国を旅する。田園地帯に天高く並木がつづく道に出会うことがしばしばある。木のてっぺんに、コウノトリのような巣を営んでいるのを見たこともあった。
 並木のつづく道には風格がある。心が慰められる広い樹冠をもった並木は、みずみずしい景観の美を生む。