「自分」を見つめた死刑囚(3)

      永山則夫無知の涙


永山則夫は1969年に逮捕され、その年の7月から大学ノートに書き始める。
無知の涙」はノート10冊に及ぶ。
中学を卒業して定時制高校に入学するがほとんど学校へ行かなかった彼は、獄中で猛然と独学し始めた。
心理学、哲学、経済学、‥‥
ドストエフスキーの「罪と罰」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」も読み、
マルクスの「資本論」、トマス・モアの「ユートピア」などに及んでいった。
自分のような人間がなぜ生まれたのか、
どうすれば自分のような人間を生まないようにできるか、
独房のなかでの思考は、個人的なところから社会的なところへ拡大し、ノートを埋めた。
ノート1冊は1ヵ月余りで使い切った。
「ノート9」には、こんなことが書かれている。


 貧困が無知を生むのじゃなくて、資本主義社会体制自体が無知をつくるのだ。学問をしてそれを教えられた。
自分はいま社会的人間として成長した。
しかしこうなってからでは遅いのだ。
犯罪者となってからでは遅いのだ。
――だが、しかし、大強盗殺人犯とならなければ、無知のまま一生を終えたであろう。
だから自分は、犯罪者としての実存を大切にして、逝こうと思う。


同じく「ノート9」に書いている。


  ドストエフスキーの文学世界が、この現代資本主義日本に現実に見られる。
  ドストエフスキーは1世紀前の人だが、その人の言う世界が私の目の前で見られるということは、  どういうことだろう。
  自分は、ラスコリニコフを真似したわけではない。
  それなのに自分はあの事件と同じような状態におちいってしまった。
  この自分の犯罪を惹起させた根本原因は、
  百年前のロシアにも見られた貧困のなかからであると言ってもよい。
  ――貧困=凶悪犯罪=資本主義体制は、切っても切れない関係にある。


彼が獄中で思索していた時代はまだ、学生運動平和運動、公害闘争、労働運動が盛んだった。
当時の社会主義国家がいろいろな問題を抱えてはいても、永山のあこがれは、社会主義社会にあった。
だが世界の社会主義国家は、絶大な権力機構・官僚機構を備え、矛盾が激化してソ連が1991年に消滅し東欧の政権も、つぎつぎと消えていった。
中国も吹き荒れた文化大革命が終息した後、大きく変わっていく。
多くの社会主義国は消滅していった。
では、資本主義国の矛盾は?


永山の思考は、貧困、差別、教育、家庭・家族、人間の心、
社会と人間の変革に向かっていた。


今の時代、
それらはますます深刻なテーマを抱えている。
今起こっている事件も、
孤独、疎外、貧困、家族崩壊があって、
絶望、虚無におちいった人間が引き起こしている。


97年に永山の死刑は執行された。世界が大きく変わっていく時代に。



「ノート9」<8月23日>

   独りで生まれてきたのであり
   独りで育ってきたのであり
   独りでこの事件をやったのであり
   とある日 独りで死んでいくのだ
   そこには 他との関係はひときれも存在しない
   まるで 路傍の小石のように


   雪降れば 冬を知り
   若草見つければ 春を知り
   蝉鳴くを聴けば 夏を知り
   赤トンボと蒼穹であそべば 秋を知る
   がここには 肉体の歴史はない
   隠すのが 運命(さだめ)で逝くものの精一杯の憩いだ

   知ったとき 確実な運命(さだめ)が眼前に在り
   それを 語り残す友もない
   無知が現在の自己に変えた
   ‥‥‥