種取りタマネギ

のこぎりで木を切ろうとしていたら、人影を感じた。
顔を上げると、裏のタマネギ畑のおじさんだった。
裏の畦を下りて我が家の庭に入ってきたおじさん、おじさんと言ってももうかなりの年であることが顔に現れている。
「すみませんが、お願いがありまして、」
何でしょうか、ちょっと身構える気持ちが動いたが、
おじさんの顔に笑みが浮かんだので、安心した。
タマネギ畑のおじさんは、種を採取するためのタマネギを栽培しておられる。
ちょうど今、種とりタマネギは、まっすぐピューピュー丈を伸ばし、先端に白いつぼみがぎぼしのようにふくらんでいる。
おじさんは、いつも夫婦でタマネギ畑にやってきて、週に1度は農薬を散布する。
軽トラックに積んだタンクからホースをのばして、コンプレッサーを稼動させ、奥さんがホースを送り出し、おじさんが散布する。
種を採取して農協に出荷するのが目的だから、病気や虫を完全に防止しようとしているのだろう。
だが、この農薬散布は近隣の住民にとっては気に掛かるところで、そのことを一度おじさんに言ったことがある。
おじさんは、この薬は漢方のようなものなので心配はいらないというけれど、
詳しいことは一切分からず、本当に安心なのかという気持ちになる。
畑の周囲、畦に除草剤をまくのも気になり、我が家に接する畦の斜面は、
「私が刈りますから、薬は撒かないでください」
と言って、ぼくが刈ることにしている。


おじさんの突如の来訪、用件は何だろう。
「あそこにタマネギ、種ができていますね。あれをとらしてくれますか。」
どこからどうやって芽を出したのか、庭にタマネギの茎が3本、ツイーと伸びて、ネギボウズをつけている。
一週間ほどまえまで、それがタマネギだとは分からなかった。
それを見て、おじさんの畑を見るとそっくり同じ形をしているから、これは種採り用のタマネギかもしれないと思った。
球根の部分を見ると赤タマネギで、さてどんな花が咲くかなと楽しみにしていたから、おじさんの言う意味が分からない。
よく訊いてみると、こういうことだった。
これから畑にミツバチ放す、おじさんの畑は原種で、他のタマネギの花粉と混ざらないようにしなければならない、
畑に放したミツバチが、別のタマネギの花粉を持って帰り、おじさんのタマネギの花に授粉すると、種の純粋性が失われるというわけだ。
だから、我が家の庭に突如生えてきたネギボウズを、おじさんは発見し、花が咲くまでに、それをと取らしてほしい、と頼みにきたのだ。
おじさんの畑のタマネギは白タマネギで、我が家のは赤。これが混ざると困る。
おじさんの畑の種用タマネギは、もうすぐ花が咲く。
毎年、この時期に、ミツバチを借りてきて、畑に放す。
その時期になったんだなあ。
それなら、おじさんの願いを聞かねばなるまい。
「いいですよ。」
おじさんは、ぼくの声を聞くや否や、もうネギボウズを3個もぎとっていた。
もうしわけない、おじさんはそう言うと、畑へとっとと戻っていって、
しばらくしてまた姿を現した。
おじさんは両手に、種用の畑の隣に植えていた食用タマネギの畝から引っこ抜いてきたばかりのタマネギを8個、ぶらさげていた。
「お礼に、これ食べてください。」