北極熊が絶滅する


北海道のエゾオオカミは、1900年ごろに絶滅した。
ニホンオオカミは、1905年(明治38年)に奈良県東吉野村鷲家口で捕獲された1頭が最後となり絶滅した。
ほぼ時を同じくして、この地球上から姿を消してすでに約100年。
滅びの下手人は人間。


1960年から80年代にかけて、
ぼくは学校の生徒たちを連れて、よく東吉野の川でキャンプし、台高山地へ登った。
ニホンオオカミがかつて峰から峰へ渡り歩いていた山地、
高見山から大台ケ原、そして大峰に続く原始の森。
オオカミの魂がさまよっていた深い森と谷は神秘の宝庫だった。
滅び去ったものの気配が藪の間からただよってくる。
消し去られたものの遠吠えが夜空にこだまする。
気を感じ、魂を感じとったとき、子どもたちの心は震えた。
子どもたちの心に自然への畏敬の念が芽生えた。


子どもたち、
聞こえるか。
滅びていったものは何を叫んでいる?


北極熊の滅びが近づいている。
TVが伝える映像。
彼らの狩場である北極海の氷が6割がた融けて、北極圏に大海原が波打っている。
氷河も急ピッチで減少している。
獲物がいなくなり、食べるものなく、さまよい餓えて死んでいく熊。


やがて人間の住むところにその影響は及ぶ。
人間の生み出すものが自然界を破壊し、
破壊された自然が人間に返ってくる。


たいへんなことが起こっている、と思う。
たいへんなことが起こりつつある、と思う。
近い将来に、今よりひどい、
想像もできないことが起こる、と怖れる。
何とかしなければ‥‥。
もう手遅れかもしれない。
いや、まだ希望はある。


それでも人間は、目先のことでしか動かない。
危機は今わが身に降りかかっていることではないからと。
まだまだそれは先のことだ、何とかなるさと。
映像が消えれば、頭のスイッチは現在の生活に切り替わる。


わが子の時代、
我が子の子どもの時代、
我が子の子どもの子どもの時代、
かつて、北極熊という巨大な肉食動物が北極にいました、
と教える先生がいるのかしら。
生徒もいるのかしら。