四川省大地震、救援に来た人たち

四川省の大地震で生き埋めになっている人たちを救助するために、
日本の国際救援隊60人が現地に入って活動を始めている様子をTVで見ると、ほっとするものがある。
一人でも多く救出してほしいと思う。
ぼくの代わりに行ってくれたんだなあ、現地へ行けない多くの日本国民の代わりに行ってくれたんだなあ、とそんなことも思う。
日本から来た救助隊に対して、中国の民衆から期待と感謝の声も出ている。


我が家でぼくは食事をする。
TVをつけると、ニュースの映像が中国の地震ミャンマーのサイクロン被害を報道している。
こうして自分は何事もなく楽しく食事をしているその今、かの地では人が助けを待っている。
当事者と非当事者の距離、その落差を思う。
悲惨を知れば、自分にできることはないかと心が動く。
もし隣の町がそうなれば、即刻行動するだろう。
だが、海を越えた遠くになると行動しない。
物理的な距離と意識の距離、それが行動意識を抑制する。
体制的に人と人との間に立ちふさがるのは国家の観念だ。
だがそれだけではない。


今日の新聞で、こんなことが報道されていた。
24万人が犠牲になった1976年の中国・唐山大地震の被災地から農民たち14人が救援に駆けつけた。
あの当時29歳だった朱さんは、今61歳。
2000キロの道を2日かけて、ワゴン車でやってきた。
唐山大地震のときは、食料や薬などたくさん支援してもらった。
あのときの恩返しをしたくてやってきたのですと、
彼らは車に衣類や米を積んできた。


あるところでは、軽トラックで来た人がいる。
直径1メートルほどのたらいに、ほかほか湯気を立てる山盛りのご飯を乗せて、
ご飯に豚の薄切りを乗せて、人々に提供している。
同じ四川省内の、すべての家に被害があったが、幸い死者が出なかったから救援に駆けつけた農民ら30人だった。
「お金はいらないよ、食べていって」
と被災者に声をかけている。


こういう心に感動する。
千里の道も遠しとせず、彼らはやってきた。
心に国境を設けず、やって来る人たちもいる。


加油加油(がんばれ)」とぼくは声援を送る。
そんな心の中の声援、なんの役に立つものか。
ジレンマをもちながら、今日も自分のことをやっている。