前立腺切除 (1)


           手術


8日間の入院治療が終わって、今日安曇野赤十字病院を退院した。
排尿障害が出てきてもう何年にもなる。膀胱から出てくる尿道前立腺の肥大によって圧迫され、
おしっこがうまく流れない。最終的な解決策は前立腺切除手術、とうとうそれをした。


4月8日に入院した病室は3人部屋で、既に入院中の二人は、どちらも大腸ガンの患者だった。
夕方、泌尿器科のベテラン医師村田先生が病室へ来られ、体調を訊ねてから述べられた言葉は、
「仕事、仕事をするということ」は、そういうものなのだとしみじみかみしめさせるものがあった。
患者がそれを決断するときには、いささかの迷いや不安を残して、それを決断する。
今決断してここに来たあなたの決断は、適切であり、今それを行なうときに至ったのですよ、
医師の言葉は、まず患者の心を推し量り受け止めて、心の中の迷いと不安を和らげようとする言葉のように思えた。
穏やかな言葉であったが、その言葉のおかげで「これでよかった、迷いはない、あとは医師にまかせよう」と思う気持ちが強くなり、すっきりした。
医師という仕事をする人の、医師の仕事とは何かを考えさせる言葉だった。


手術日、朝から搬送用ベッドが用意されていたが、ぼくは看護師さんに、
「わたしは元気なので、歩いていきます」と言って、手術室まで歩き、手術室のベッドに横になった。
執刀する主治医は、若い皆川先生だった。
まだ青年の風貌を感じさせる皆川医師は、3月の診断の際、事前の説明を時間をかけ懇切丁寧に行なってくださった。
技術のいる手術を経験不確かな医師が執刀する、そこにいささかの不安もあったが、いかにも新進気鋭という感じの医師の一生懸命さに、この人に自分の体を任すのもいいではないかと、思えたのだった。
手術台の上で、ぼくはリラックスし、まな板の鯉になった。
医師はぼくの脊椎に麻酔針を射した。たちまち下半身の感覚がなくなり、尿道に挿入される電気メスも内視鏡も感じない。
ベッドの左にオリンパス製の受像機が置かれていて、そこに手術の様子が映し出される。
内視鏡尿道から膀胱の内部を映し出した。説明する皆川医師の声が聞こえる。
確かに前立腺は周囲から尿道を圧迫していた。
いよいよ開始。
オーム(Ω)型を上下逆さにした電気メスが、リング状の部分で周囲を削り取っていく。
毛細血管から血が噴き出し、煙幕がかかったように画面が赤一色になると、何も見えない。
注入される液体が血液や削り取った肉片を外へ洗い流していく。再び画面は鮮明に見え出した。
「削り取ったものは、いったん膀胱に流し込んで、それから外へ出すんです。」
ぼくの質問に医師の声が返ってくる。
よく観ていると、電気メスは、削り取るだけでなく、噴き出す血を止める働きもあることが分かってきた。
煙が空中に立ち上がるように、流入液のなかに血が立ち上る。その上にメスが来ると、血がすっと止まる。
削り取るときの電気音と止血の電気音は異なっていた。電気操作の違いがあると、皆川先生は応えた。
ひたすら削り取り、止血する。
睡魔がとろとろとやってくる。
約2時間半、手術は終わった。
「これだけありましたよ。巨大です。」
削り取った前立腺がビンに入れられていた。
一週間前に病院で自分の血液を採って、輸血用に蓄えてあった400ccを、輸血する。
失われた血液約300cc分を自己血液で補充することができた。


お疲れ様でした。ぼくは医師と看護師に謝意を述べた。
ほんとうにつくづくそう思う。