突然、肺ガンがやってきた <5>

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 自分も肺ガンだったと言われた隣のベッドの人は、

 「私も五時間半の手術でした。」

とのこと。そして

 「みごと。」

と一言付け加えられた。ぼくもあいづちを打った。

 「見事なもんでしたねえ。」

 同感。

 五人の医師チームによる手術は、麻酔状態で眠っている間に行われた。だからその間の、「大変でしたよ」と術後に浜中医師が言われた手術の様子は、何も分からない。目が覚めたら、手術は完了して、左わき下に開けられた四か所の穴も縫合されていた。この五時間半の前と後とでは、我が体は大きな変化をしていたわけだ。

 実に順調にコトは進んだように思える。その過程は、ガン発見前からの全過程にあてはまる。八月からの過程も見事なものだった。

 八月半ばに、かかりつけの街の医師に診てもらったときは、レントゲンに何も映らなかった。しかし咳と痰の原因を調べたいというと、医師は紹介状を書いてくれて、日赤安曇野病院へ行った。日赤の若い医師は、CTを撮り、その画像を見るなり、「ガンの可能性あり」と言った。確かに左肺上部に白い塊があった。曽根原医師はすぐに紹介状を書いてくれて、信大病院へ行くことになった。そして数日かけて次々と詳細な検査がなされ、結果が出てきて、肺ガンが明らかになったのだった。

 このときの一連の動きも、「見事」の一語に尽きる。

 一週間ほど術後の入院生活をして、看護師さんたちの温かいお世話を受け、経過が良かったので、早々に退院したいと表明し、医師団の了解を得て退院した。

 ちょうどその日、家に息子が孫娘を連れて、見舞に来てくれていたが、絶好の秋晴れだったので、息子と孫は燕岳に登り山荘に一泊して、翌日下りてきた。

 僕はその日からまたストックをついて野を歩き、ベンチに腰を下ろし、山を眺めながら歌を歌っている。