[自然]  蘇生の春 

michimasa19372008-03-22





空き地の草むらに咲く福寿草


  
3月21日、仕事を終えて木曽路を帰ってきた。
陽光が木曽谷いっぱいに降り注いでいる。
列車の中で読もうと、本をザックに入れていたが、全く読む気にならなかった。
疲労が身体全体に蓄積している。
列車の左座席に座り、木曽川の流れや、前方遠く青空にかがやく中央アルプスの雪嶺をぼんやり車窓から眺めたり、
眠気が襲ってくればうとうとまどろんだりして、
南木曽、大桑、上松と過ぎていく。
次の谷で御嶽山が見えるな、といつものことだが思うところ、
木曽川に合流する王滝川の上流が広く開け、その奥に真っ白な雪の御嶽山が今日も見えた。
見えたことで少しうれしくなる。
落葉松の芽ぶきが近い。それも、谷間の明るさに関係しているようだ。
この狭い谷間に住んで一生を過ごしてきた人たちがいる。
大人になればここから脱出したいとずっと思っていたと、木曽で育ったU君は言っていたが、
それでも、これからもここで生きていく人たちがいるんだなと思う。
木曽谷を上り詰め、信濃路に入る。
塩尻が近づいてきた。
おう、見える、穂高岳
屹立する雪の峻峰。
5時過ぎに松本駅に着き、大糸線に乗り換えた。
若い女性の車掌だった。
ドアは乗降客がドア横のボタンを押して開閉する。
乗客は一日の仕事を終えて帰る人や学校帰りの高校生だった。
建築や道路工事の現場でガードマンをやっていたのだろう、くたびれた警備服を着てヘルメットを手に持った実直そうな男が、
男子高校生に、座る空間を空けてもらい、小さく礼を言って座った。
豊科駅が近づくと常念岳が近づいてきた。
駅前に家内がランを乗せて車で待ってくれていた。
後部座席からランが顔を覗かせ、喜びを体全体に表して吠える。
常念岳の稜線から舞い上がる雪煙が夕日に映えている。


翌朝、霜が降り、氷が張っていたが、ランと散歩した野は、春の草花が咲き、ヒバリが鳴いていた。
一晩熟睡して、疲労がかなり消えていた。
横の空き地には、福寿草が咲き、クロッカスが咲いている。
今年は、雪がよく降った。
庭のクリスマスローズは雪にさんざん痛めつけられて傷だらけになっていたが、
それでも花をつけている。
ヒメオドリコソウの赤紫の葉かげにかくれたピンクの花、
オオイヌノフグリの小さな鮮やかなブルーの花、
白い粒のようなツメクサの花、
ふくらむ木々の芽、
春は命のよみがえりだ。
毎年、地球はこうして再生を繰り返してきた。
『昭和万葉集』(講談社)の巻七に、
15年戦争という長い冬の時代からの蘇生を詠った歌が収められている。


  精根もつきはてにしと思ふとき庭の一隅(いちぐう)李花(りか)に明れる(あかれる)

                               館山一子


戦争が終り戦後初めての春を迎えた。精も根も尽き果てた絶望のなか、庭の片すみで見たスモモの花は、明るい春を示している。
 自然の命の営みは、人間の心をよみがえらせ、生きる力を与えてくれる。


  移り行く世にも違へず(たがえず)青芽ふく此のいとなみに涙湧き来る

                                 蚊谷伸次
  

 古い日本は滅び、新しい日本に生まれ変わっていく激動の時代。
人間によって作られていく時代は移り変わっていくが、
自然界は変わることなく、春になれば青い芽を吹き、花も咲く。
廃墟の中でも絶えることのない自然の営みを見ていると涙が湧いてくる。