早春賦

michimasa19372008-02-17




                     ライラックの芽、ふくらむ



犀川の白鳥たちが、
二、三日前、いっせいに北の国へ帰っていったと聞いた。
ところが、毎日のように雪の降るこの頃、
どうしてそう急いで帰っていったのだろう。
シベリアの自然はまだまだ食べるものを用意できていないかもしれないのに。


平安時代土佐日記にも出てくる和歌がある。


    北へ行く雁ぞ鳴くなる連れて来し数は足らでぞ帰るべらなる

                    よみ人知らず


  北の国へ帰っていく雁が鳴いている。日本に来るときに一緒に連れてきた仲間の数が足りない。
  いなくなった雁は、命を落としたのだろうか。
  雁の群れは、仲間の数が足りないままに、鳴きながら北の国へ帰っていく。


シベリアに帰れば、白鳥も雁も、子どもをつくり、育てる仕事が待っている。
厳しい寒さの中を白鳥は飛翔していった。
遠い旅路、オホーツクを渡って、連綿と続く生命の営みを繰り返すために。


昨日は少し日が照り、地面の落ち葉が露出するところが出てきて、
小鳥たちが庭に来て何かをついばんでいる。
ジョウビタキもいる。
餌が無くて、ひもじいだろうなと、
小麦を撒いてやったが、
今朝起きれば、また新しい雪が降り積もっていた。


『早春賦』は安曇野で作られた歌で、その歌詞の世界は3月から4月ぐらいがちょうどだろうが、
ぼくの口をついてこの歌が最近よく出てくる。


  「春は名のみの 風の寒さや
  谷の鶯 歌は想えど
  時にあらずと 声も立てず
  時にあらずと 声もたてず

  氷融けさり 葦はつのぐむ
  さては時ぞと 想うあやにく
  今日も 昨日も 雪の空
  今日も 昨日も 雪の空」


春とは名ばかりで、
氷も雪もまだ融けていない。
葦が角のように芽を出すのはまだまだ先のことだ。
木々はどれも芽がまだ堅い。
ところがライラックの芽はもうかなり膨らみ、
葉が出掛かっている。
穂高川のほとりに建つ早春賦歌碑の前で、
早春賦音楽祭が毎年開かれている。
それは4月。
5月には、アルプス安曇野公園でも音楽祭が行われる。
早春とは言いがたいころの音楽祭だが、
合唱団が組織され、春の喜びを高らかに歌い上げる時期は4月。
春らんまんの音楽祭だ。