ツボ・プロセス・環境





1、ツボ


昔、徳川夢声の講演を聴いたことがある。
講談師、漫談家だった夢声は、落ち着いた語り口と話の間(ま)の取り方が絶妙だった。
夢声の言う話のツボは、間だった。
当今のTVのワイドショー的番組は、たくさんしゃべらな損損、とばかり、
絶叫している。
だから話に聞きほれるということがない。


鍼灸のツボ、指圧のツボというのがある。
そこでないと効き目がない。
ツボを知らないで、やたらと指で押しまくり、灸をすえ、鍼を打つのは、骨折り損のくたびれもうけ、
害あっても利なし。
時間を浪費するだけ。


子どもの指導においても、ツボをはずせば、徒労を繰り返すはめになる。
指導のツボ、プロフェショナルはそれを心得ており、ツボを探ろうとする。
ツボをはずした「指導」をくどくどと繰り返し、子どもを反発させ、聞く耳を持たなくして、
教師のほうもいらいらし、腹を立てている。
「何回言ったら分かるの」
「これだけ言っても分からないのか」


名人、達人は、教え方のツボを探り、発見したそれを実践している人と言えるだろう。
身体のツボは、どこにあるか決まっているが、心のツボは、簡単には分からない。
心は変化もする。
だから教育のツボを発見するには、しっかり向き合い、相手を知り、その心を受け止めようと、
自分の心の受信機を生き生きと働かせないとできない。



2、プロセスと組み立て


発展のプロセスがあったから、科学技術は発展してきた。
崩壊のプロセスがあったから、地球は崩壊し始めた。
そうなる理があって、そうなる。
ものごとを成し遂げるには、プロセスを経なければならない。
どのようなプロセスをたどれば、子どもはよく理解してくれるか。
どのようなプロセスをたどれば、子どもは育つか。
理解を生むためには、育つためには、
認識の順序を考えた組み立てがいる。
法則性がある。
授業の構成、組み立てを考えず、それをなおざりにして、
ただ授業をやればいいといわんばかりの、似非ベテランがいる。


生徒の能動性を導き出すプロセス。
集団が動き出し学びを深めるプロセス。
それがなければ、混乱し、時間を浪費し、害が生じる。
やみくもにガンガン指導をして、指導の効果があがらなければ、
ヒステリックになり、落ち込み、意気消沈し、
ますます子どもは離れていく悪循環。


3、学習環境


家庭が天国である子と、地獄である子とがいる。
学校が天国である子と、地獄である子とがいる。
学級が天国になる場合と、地獄になる場合とがある。
日本の社会は天国、
日本の社会は地獄。
家庭という環境、学校という環境、
人間という環境。人間が生み出す環境。
教師という環境、児童・生徒という環境。
ぼくも生徒にとっての環境。


教師は身体で教える。
間違ったことを教える人間でもある。


目が教える。
耳が教える。
顔が教える。
表情が教える。
行動が教える。


口で説明すれば「教えた」ではない。
環境のすべてが「教えること」にかかわる。


子どもは環境の中で体験して覚える。
言葉も体験して覚える。
心で感じて覚える。