雪




今朝は零下10度にはなっていただろう。
昨日は久しぶりの快晴で、北アルプスもくっきり、雪の峻嶺を現していたのだが。
今日は午後になって雪が降り出した。
厳冬期の新雪は、容易に融けず、ふわふわとやわらかい。
これまでの雪の上にまた新たな雪が積もっていく。


厳冬期、
20代半ばのころ、鹿島槍ヶ岳東尾根の第一岩峰、第二岩峰を登攀し、頂上をめざしたとき、
麓の大谷原の小屋で悪天候のおさまるのを相棒と二人で待った。
天候回復の兆しが見えたので、行動を開始し、
尾根の取っ付きから輪かんじきをはいて、ラッセルをしながら登っていくと、
新雪は深く、腰までもぐった。
先発隊のベースキャンプまでその日のうちに到着できそうにない。
夕刻になり、前進が無理だと結論づけると、
雪洞を掘って一晩休むことにした。
そこは尾根筋の林だった。
積雪は数メートルあったが、春の堅雪とは違い、新雪を掘って形ある洞にするのは容易ではない。
なんとか二人の体を収めることのできる雪の洞穴を作ることができ、
ポンチョをシートにして、夕食の行動食を食べた。
体の周りはすべて雪、天井は体の上6、70センチほどにある。
懐中電灯に雪の結晶がきらきらと反射して美しい。
外気を遮断すると雪洞内は静寂の世界、寝袋に体をすべりこませると落ち着く。
寒さは身にこたえたが、すぐに眠りについた。
翌朝、目が覚めたとき、雪洞の天井は顔面の真上にあった。
雪の天井は、一晩で4、50センチ沈下していた。
新雪の雪洞はこうなる。


降る雪は実に多様だ。
大きな雪片が舞い落ちるもの、小雪の細かく落ちてくるもの、
なかでも、小さな雪の粒になったものは、横なぐりの風に吹き飛んできて目に入る。
これは痛くて目から涙が出てくる。


雪の研究家、中谷宇吉郎が、1934年(昭和9年)、山岳雑誌『ケルン 10号』に、雪と霜についてこんなことを書いている。
74年も昔のことである。


「雪の結晶の形は千差万別であって、今まで世界中で撮られた数千枚の結晶の写真のうち全く同じ形のものは一枚もないといっていいぐらいである。
しかしこれらは幾つかの型に分類することができる‥‥。
‥‥雪の観測に出かけている間に、霜のいろいろな珍しい結晶をみる機会をえて、霜の結晶と雪と全く同じ種類のあることを知った。‥‥霜のいろいろな結晶は多く雪の洞穴の天井または壁から成長していたものだった。‥‥
 登山家には、いろいろの雪や霜の現象に遭遇される機会が非常に多いだろうと想像される。そのような場合にはきわめて簡単なスケッチでもしておかれたならば、非常に貴重なデータとなることが多いであろうと思われる。」


今日の雪、たちまち積もり続け、止みそうにない。