まど・みちおの詩(3)


    空気


S氏は、猛烈なヘビースモーカーだった。
労働組合運動の闘士から部落解放運動のリーダーになり、
その生き様は清廉潔白で、人情家、
情勢を鋭く分析し、
権力との闘いでは、舌端火を吐く激しさがあった。
そのS氏、仲間との会議の席では、何本ものタバコを吸った。
そのころは、禁煙の考え方がまだ一般的ではなかったから、
同席しているものたちは、たちこめる紫の煙を一緒に吸っていて、その害を知ることがなかった。
私も、S氏の煙を何度も吸った。
S氏が重度の肺癌と診断されたときは、すでに手遅れだった。
突如死期は訪れ、
多くの青年活動家たちの涙の中、S氏は他界された。


あれから30年以上が経つ。
禁煙のエリアは、公共の場に広がり、
喫煙者の数は減り、
だからであろうか、
最近、餃子の中毒事件で、日本タバコ産業が、食品の輸入販売までしていることを知った。


一人がタバコを吸えば、その害は家族やその周囲に及ぶ。
だから対策もとってきた。
だが、
人類は、地球上の大気が、危機にむかって破壊されつつあるのをストップできないでいる。
一つの工場が、排気ガスを出せば、害は地域に広がる。
中国の大気汚染は日本に及ぶ。
世界中の国々で排出するCO2は、地球の環境を破壊し始めた。
北極の氷は融け、シロクマも絶滅の危機に瀕しているというではないか。


まど・みちおさんが、こんな詩を作っていた。
まどさんらしく、やさしい言葉で。


      空気


  ぼくの 胸の中に
  いま 入ってきたのは
  いままで ママの胸の中にいた空気
  そしてぼくが いま吐いた空気は
  もう パパの胸の中に 入っていく


  同じ家に 住んでおれば
  いや 同じ国に住んでおれば
  いやいや 同じ地球に住んでおれば
  いつかは
  同じ空気が 入れかわるのだ
  ありとあらゆる 生き物の胸の中を


  きのう 庭のアリの胸の中にいた空気が
  いま 妹の胸の中に 入っていく
  空気はびっくりぎょうてんしているか?
  なんの 同じ空気が ついこの間は
  南氷洋
  クジラの胸の中に いたのだ


  5月
  ぼくの心が いま
  すきとおりそうに 清清(すがすが)しいのは
  見渡す青葉たちの 吐く空気が
  ぼくらに入り
  ぼくらを内側から
  緑にそめあげてくれているのだ


  一つの体を めぐる
  血の せせらぎのように
  胸から 胸へ
  一つの地球をめぐる 空気のせせらぎ!
  それは うたっているのか
  忘れないで 忘れないで‥‥と
  すべての生き物が兄弟であることを‥‥と