まど・みちおの詩 (1)


    リンゴ


リンゴを ひとつ
ここに おくと


リンゴの
この 大きさは
この リンゴだけで
いっぱいだ


リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにも ない


ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ



まど・みちおさんは、物の存在、生き物の存在、
人間の存在、自分の存在について、
じっと考えました。
そして、その本質をよくとらえました。


まど・みちおさんの詩は、たくさん童謡にもなっていて、
子どもたちやお母さんに愛されています。
ぞうさんぞうさん、おはなが ながいのね‥‥」や、
「しろやぎさんから、おてがみついた、くろやぎさんたら、よまずに たべた‥‥」
口をついて出てくる調べは、子どもを育てた日本の親たちは忘れることがありません。
「ジャングルジムの うた」は、我が子が幼かったころ何十回何百回とかけたレコードの童謡の中でも私の好きな歌でした。


昨年亡くなられたユング研究の臨床心理学者・河合隼雄さんは、
旅に出るとき、まど・みちおの詩集を持っていきました。
そして、列車の中で詩集のどこかのページを開くと、一粒のキャラメルを口にふくむように、
そのページにある一粒の詩を味わったと言います。
まど・みちおさんの詩は、子どもから大人まで、さまざまな人生を歩んできた人々に愛されています。
まどさんは、1909年に生まれました。今98歳、ご健在でしょうか。
「リンゴ」の詩について、生命科学の研究者・中村桂子さんは、こんなことを書いています。


「あること」を大事に考えるのなら「ないこと」も大事に思えるものだ。
ここにリンゴがあれば、リンゴがあるほかには何もないことになる。
何かがあるということは、何かがないということなのだというところに思いを向けるなら、
何かが生まれてくることの背後には、何かが消えていくこと、失われていくことがあるのだということも考えずにはいられない。


中村桂子さんの「生命誌」の仕事は、生きているとはどういうことか、私はなぜ今ここにいるのだろう、と考え続けることだと言います。
だから、まどさんの詩に共感するのだそうです。


宇宙論の学者、佐治春夫さんは、一つのリンゴで存在のすべてを尽くしている、「ある」と「ない」が、二重に重なっている状態は量子力学的世界の表現だと書きました。(注)
やさしい日常の例で佐治さんは言います。
「突然ある方が亡くなってしまうことで、それまで『いた』ということの意味がはっきり押し寄せてきます。その人が必要だったとあらためて認識されることもあるでしょう。」


私はここにいる。存在するすべてのものは、宇宙の一部を自分用に使わせてもらって、そこにいる。小鳥には小鳥の、アリにはアリの空間があって、そこにいる。
まどさんは、人が当たり前にして考えもしないことから、何かを発見して詩に書きました。


こんな詩があります。


     どうして いつも



太陽

そして



やまびこ

ああ 一ばん ふるいものばかりが
どうして いつも こんなに
一ばん あたらしいのだろう